6.29.2013

人生の中退!?~人間の詩~

私は人生の放棄者だ!!!!
どうなろうがどうでも良い!
このまま死んでもどうでも良い!

絶望の言葉に聞こえるが、絶望もしていない。私が思う全ての事をやり尽くしたから、死までの時間はゆったりとくつろいで過ごせればそれで良い

望まず期待せず何事も求めない

現在age36平均寿命で見れば人生の半分だ。半分はフルスロットルで生きて来たから残りはのんびりと過ごす。これで人生±ゼロ それでもう充分だ

ここに至までは楽しい事も沢山体験したが苦悩の方が
多かった気がする………

以前こんな人に出会った
会社経営しているが、3年仕事もせずに海外でゴルフ三昧、何千万の高級車なんて簡単に買ってしまう人だった
話をしていると「新しく事業を始めたい」と言ってきた
地位も資産もあり凄い所に住んでいるのに私には何故か苦しそうに見えた

私に「マッサージサロンを起業したいから協力してくれないか?」と提案された時がある
美味しいご飯も食べさせてもらったり・・・
雇われだが私には9店舗のサロン運営の実績があった―
しかし断った

理由は興味が無くなったからだ
やれば金も手に入っただろう、良い思いも出来ただろう
だが生まれてから死ぬまでの限りある時間を金やモノを集める為に使いたくはない 
欲望を満たし続ける為に生きていたくはない


そんな幸福もいらないし、そんな幸福は無い幻だ
その幻に憧れ追い求め苦悩し尽き果てる人生を自ら選びたくもない

しかしこの感覚に至までは欲望に駆られ生きてきた。あの頃なら事業をしていたと思う
もうウンザリする程様々してきたから言える事で―

やらなければ本質は見えないし
やらなければ現実も見えない
やらなければあの不安を味わえない
やらなければ私の言葉では話せない


世の中には正解も不正解も成功も失敗も幸福も不幸も
安心も不安も無い 唯一あるとすればあなたの自我だけ

それは、あなたの世界観という自我で世界を観ているにすぎないから
「私は私が私を私なら私しか私だけ」世の中は私で溢れている
数多く私という自我があるのなら既にそれは私ではない 

だから私は私という名の人生を放棄した

誰もが固執するその私とは一体何なのか??????


6.28.2013

人生の旅

人生という旅をすれば
つまずくこともあれば転ぶ時もある
疲れてゆっくり歩く時もあれば、元気に走れる時もある

その一歩が一日で
一歩踏み出したその道は平坦な道かもしれない
あるいは石がありつまずくかもしれない
穴がありどん底まで落ちるかもしれない

人生は一歩一歩踏み出さなければならない

しかしその一歩先の闇の道はあなたが創りだしていることを忘れてはいけない

人生という短い旅に華を咲かせるために

6.27.2013

鏡に話しかける者~自虐の詩~

悩みから抜け出すには思考では回復しない
私の体験だが一瞬は上がるが直ぐに落ちてしまう
「又あの状態」自己嫌悪に陥る・・・

仕事にも手がつかず目の前は暗闇 絶望
それでも抜け出したかった

自分の今ある感情をEvernoteに全て書いた。どうすれば良いかなんて解らない
ある日は違う人格が現れてそれと会話している程ヤバかった時期もある
「お前はこうなんだろう」「お前は何をしているんだ」etc

私の中には何人もの人間が居るみたいだった・・・

何か気を紛らわすものは無いかと油絵を始めてみたり、陶芸を始めてみたり
しかし現状は何も変わらない 目は死んでいる 鏡に話しかけたり・・・もう異常者だ

「苦しい・・・」

この状態が何か月も続いたが朝のCAFEの時間が唯一の救いだった―くつろぎの時間
時にはそのまま出勤もせず何時間も過ごした事もある

「どうすれば良いんだ・・・」

そんな朝の時間に気づいたことがあった
他人の存在に目を奪われている私 他人を気にするあまり自分を偽り何十年と創り上げてきた人格に気づいた
あの時こういう体験をしたからその描く自分になり、あの時の体験が又描く自分へと・・・
あらゆる人格の鎧を着ていた

今から20代10代そして幼少期と記憶を遡り、どうやってこの人格を創ってきたのか・・・・・・・・

彷徨っている暗闇の中に一つの扉が現れた
私は迷わずその扉を開けた

その扉の中には偽りの私が多数存在していた―そこはカオス

そして他に目を奪われている何人もの偽りの私を徐々に消し去った。心の負担が減り解放されていくのが解った
それは幼少期の頃の無垢な心に戻るような感覚だった

その後も扉は開けっ放し闇を覗き込んできた
見たくない 見えないフリをしてきた私の闇の部分

今までも問題はあったが表面的に解決すれば問題は無かったが、この時はもう今までの経験が何も通用せず目の前は暗闇だった

樹に生い茂る様々な自我 そして問題 その生い茂る葉を一枚一枚伐ったところで、問題の解決にはならないことにも気づいた

自我―私という偽りの人格

これが全ての問題の根だ!悩みは人それぞれ違う 育った環境も違う
しかし心の闇は誰にでもある この扉を開けて自分を直視できるかどうか

世間には何も問題は無い、他人にも何も問題は無い
たった一つの問題は何十年という歳月で自ら創りあげた自我だ!!!

今あなたは青年かも知れない
今あなたは中年かも知れない
今あなたは老人かも知れない

しかしあなたの実在は何も変わってはいない!!!身体は勝手に成長しただけで、体験の記憶もある しかし内側では何一つ変わってはいない


記憶を遡り今と幼少期は必ず違うはず・・得た知識なんてモノはゴミだ!!!
いつどういう体験をし自分を変えていったか見つめた時に本物のあなたが現れる

そのあなたと出会う日までの旅―

この扉はくつろいでいる時にしか現れない
探せば逃げていく 求めれば逃げていく―ゆったりと






6.26.2013

生きるのはなぜ疲れるのか!?

仕事への価値観・執着なんて捨てれば良い!!!

多くの人間が疲れている……
大半が仕事での人間関係

一年で何百日と労働し、心身を休める日は一時の休日
社会に出れば仕事での競争・比較・地位・出世そんなのが重要となって苦しむ

生活のツールでしか無い仕事を日々こなす心身へのストレス 
しかし重要となってしまってるから追い詰められる

たった一度の人生をこんな事で台無しにして後悔しないのだろうか……

具合悪くても仕事・何があろうが仕事 一時の休日を楽しむ為に…
死ぬ間際に「良い人生だったと」心の底から思えるのだろうか
疑問だ

何がしたいか分からない人も沢山いる
未来ばかり見つめて、過去に浸っていても何も見つからない

仕事なんてものは価値すら無いのだから手当たり次第にやれば良い
それで偶然何の迷いもなく没頭できる職が見つかればそれで結果OK!
見つからなかったとしても別に構わない 初めから価値など無いのだから

社会は仕事に価値があると思わせているだけ―
皆が皆そう擦り込まれているから誰も疑わない 


仕事に人間関係に心はボロボロで人に優しく接する余裕すらない……

街は戦場のように怒りや欲望に溢れ
それを当たり前と思い生活しているから、疲れない訳がない


どうでも良いー

私は20年で20数種類の職を転々とした。
つまらないと思えば直ぐに辞めてきた。これ楽しいと思った遊びも全て経験した。我慢は絶対にしなかった。その遊びの為に仕事も辞める。適当にバイトだけをする
そんな20年そしてホームレスから取締役まで経験した変な人間

私が思う全ての事をやり尽くしたから後悔も一切無い 今死んでも悔いもない

つまらない、苦しい事をしている程人生は長くはない

それよりも人生には重要な事がある


6.25.2013

雨時々晴れ~人間の詩~

雨や風 季節天気を分け隔てなく
そのまま受け容れている自然

自然にある花は時期が来れば芽を出し花を咲かせ枯れていく

その過程で雨風もあり、晴天続きの日もあるかも知れない
しかし花は雨も嫌わず晴れも好まず、自然そのもので生きている

人間に例えると雨風が苦悩
人間だけが不自然で雨風を嫌い晴れた姿だけを好み
分け隔てている 分けるからそこに苦悩が芽生える

自然はありのままに在る

果実も芽を出し雨が恵みで曇りは温もり晴れは命の源
全てを受け容れ実を授かる―


一つの花に仏性を観れるか

そんな話


信じるという言葉の裏

あなたを信じます 誰々を何々を信じます

一見聞こえは良いが「信じるの反対は不信だ」
信じているの裏側には今まで信じてはいなかったという事と
信じることで相手に対し見返りを多少なり含んでいる

「誰々をを信じています」 は信じ込みたいだけだ!
信じると伝えるor信じていると思う事の裏には相手に対しての要求がある

裏切らないで欲しい 私が信じているのだから・・・という自我
「信じるという言葉を言う人間は不信の塊だ(笑)」あなたを既に疑っている
信じるという言葉を使い、あなたをそこに留まらせようとしているだけ騙されてはいけない!

例えばこの逆でも良い あなたが誰かを信じる 彼氏彼女友人etc…
裏切られた時にどう思うかが重要―
「あの人は信じられない」と思うか「何も思わないか」どちらかだ

しかし多数の人間は裏切られたと思うだろう・・・しかしそれはあなたの勝手な思い込み
信じることで縛り付けたいあなたがいるだけ。良く今までの信じるという言葉を観て欲しい

「信じる者は救われる」 「信じる者は馬鹿を観る」この両方だ!!!
コインの裏表 物事には全て裏と表がある 一方のみは存在しない

真実はいつも一つ、それはあなただ





コインの裏表・・・

選挙に行かない人は政治に対し発言してはいけない。発言するなら選挙へ出馬すれば良いという話を聞いた。私は「ならばあなたは会社に他人に対して文句を言ったことが無いのですか?」と伝えた
「文句があるなら起業すれば良いと」

表面ばかりを見ているからこういった発言をする
言うのは簡単で発言の自由もある
しかし根本は同じだ!何に対して発言するのは良いが、あなたは何をしているか気づいていない
政治だろうが会社だろうが人だろうが虫だろうが関係は無い

「誰がどうした」「社長がどうだ」「部下がどうだ」どうでも良い
発言したことで自我を満足させているだけ、あなたの考えを押し付けているだけで他には何も無い
何も残らない。それはあなたではなくあなたの価値観の発言だから―

不足や不満それを解消するために躍起になって行動しているだけだ不足になれば満たす為に何かをし、不満があれば満足するためにあれこれしでかす

なんでもコインの裏表でしかない

自らの人生は自らが歩いて行かなければならない
他人に構っている時間など無い まず自分に全力で耳を傾ける「私は何をしているのだろう」と
それが自らの人生のスタートライン!!!

「誰が何をしようが私の人生に関係は無い」 「私は何を言われようが関係はない」「言いたい人は言えば良い」「どう思われようがどうでも良い」それに対して私は何も言わない―賛成も反対もしないし受容と拒絶もしない

私の発言ではないし、発言をして自我の押し付け合いという討論をしても無駄だと知っているから
しかし、その人が何をしようが関係は無いが気づかせる必要はある。同じ過ちを二度としないように 気づくかどうかは本人次第・・・

あなたが何気なく思っている事でも自分を解っていないと、こういった発言をしたり書き込む。今回は知人だったので直接伝えた

言葉の闇それは、他人の事は何でも見えるのに、自らがしている過ちは何一つ見えていないという闇のようなモノ




在るべき姿にある~一事が万事~

『一事が万事』 身に染みる言葉だ・・・
自堕落なルーズな生活を送っていれば必ず後々困る

それは現実からの逃亡者「今が良ければそれで良い」と生活してきた罰

人間は在るべき姿に在る
夢や理想を追って苦労し大成しないのは、その人のあるべき姿ではない

最期に頼りになるのは社会でも政治家でもなく自分たった独りだ!!!独りで生まれ独りで帰る それまでの時間という名の人生

終りが来るその日まで生きなければならない 自分で命を絶つわけにはいかない
苦しみから逃げなければ様々な事を気づかせてくれる
苦しみの種からあなたの華が咲く

災いが降りかかる度に「私の存在意義は何なのか?生きることはなんなのか?」と問い詰めてきた
しかしそれは表面的な事で、根を絶たなければ枯れないという事

自我過去の記憶―

人間を一本の樹に例えると枝や葉が今までの人生で様々溜め込んだ自我だ
幹という本来のあなたに偽物の葉や枝をくっつけているに過ぎない
いくら枝を落とし葉を切っても問題は次から次へと生えてくる
これでは堂々巡りだ しかし人間がこの様にして生きているのも事実

在るべき姿に在る―理想をいくら描いてもその人の現実が「今だ」この瞬間だけが全てだ!いくら努力しても成功しないのであればその人の在るべき姿でもない

現実逃避―過去の記憶へと時間を遡り「どうしたい」と未来へ投影するのは解決ではない

ある人は音楽の才能があるかも知れない
ある人は経営の才能があるかも知れない
ある人はモノづくりの才能があるかも知れない

その人が生まれ落ちた瞬間にその人は完璧だ!
何かが必ず備わって生まれてくる 今が完璧で何者になる必要すらない!!!

それを憧れや希望で他の事をしでかしていれば、いつまで経っても苦悩する

モノに溢れ、生活にも危険がないこの日本という国 それでも苦悩は絶えない
何を更に求める必要がある?憧れ希望夢 そんな未来をみて絶望するよりも
今在るべき姿を直視し 今までしでかしてきた様々な事を振り返り
私は何をしてたんだろう・・・その人生のアホさ加減にきづければ良いだけ

人は在るべき姿に在り、在るべき事が自然と起こる
何かをやろうとすれば自我が登場し、喜怒哀楽に支配されるという事

「今が完璧」 「今が全て」 「今だけが真実」

希望や理想そして憧れ―それらを求める心を全て捨てる

起こらしめる必要も無く今に在る






6.24.2013

悩みや不安を消す方法

悩みや不安は人それぞれだが打ち消す方法がある

今現在の望みや希望という様々な欲望を全て紙に書く事
それがあなたの不安や悩みの原因
「こうなりたい」「あれ欲しい」「こうなって欲しい」など望みを全部書く
それをゴミ箱に捨てれば良い 頭にある事と紙に書いてあることに違いは無い
どちらもただの記録でしかない 捨てれば悩みなど消える

不安が消えれば安心というモノが現れるという事

毎日落ち着いた生活ができる 
それが体験できたときあなたは今までしてきた今現在していることに対しての、あらゆる事のアホらしさに気づけます

希望や夢 望みを見出すのが生命活動のように思っているが
希望の反対は絶望です あらゆる欲望の反対は絶望です
希望が無ければ絶望が無い!理想や夢がなければ絶望が無い

悩みたい人は夢を追いかけ理想を描いてください
もう悩むのはウンザリだ安心したいという人は全ての欲望を捨てること

根を絶たねば樹は枯れない

人間は在るべき姿に在る

人生の生きつく先とは!?~人間の詩~

この人生は何の為にあるのだろうか

ワンコが病におかされ2ヵ月
看病生活が続く
余命を告げられた時は絶望した
それは突然の出来事…………

普段死ぬ事を意識して生きている人は少ない
しかし世の中唯一「死」だけが絶対な事

ワンコを見ていると死は恐ろしくも本人も悲しいモノでは無いことを感じさせられる
突然息が止まり倒れ込む、その後意識が回復し いきなりウンチをした。何事も無かったかのように……

不思議だった
死は本人にとっても悲しいつらい事と思っていだけどそうではないみたいだ

残される私は悲しいのに本人は何も感じてはいないかのようだ……
死は当たり前の事なのに死ぬ事はダメ!悪い事のように扱われる
それは残された側の生への執着でしかないようにすら感じる 

「死んではダメ、永遠に生きて私のそばにいて・・・」あり得ない

確かに悲しみはある。目の前から消える。共に生活してきた時間そして過去。
時間は戻らない。生きた事が残された私たちの記憶に残るだけ

ワンコも私と同じ生命
死を待つ順番が違うだけ!その列からは誰一人逃れる事は出来ない
皆列に並んで順番待ちをしているだけだ

この死を前提として生きてみる
財を築いても持ってはいけないという事実
モノを集めても持ってはいけないという事実
今目の前にある全てのモノを持って行くことは出来ないという事実

世間で有名になり名を残す人は稀だ
私たち一般市民は「ちょっと生活の質を上げる為だけに」労働というモノをしている気がする
「ちょっと他人よりおいしいもの食べる」「ちょっと他人より良いものを買う」「ちょっと他人より良いところに住む」そんな他人を意識した「ちょっと」の為だけに生きる・・・悲しい生き物
それに人生の時間を費やしているだけの生き物・・・悲しすぎる

飯を食うためにやりたくないことを続けるのが生きることなのだろうか?
お金を多く持つことが生きる事なのだろうか?
出世や競争が生きる事なのだろうか?
欲を満たし続ける為に苦労するのが生きる事なのだろうか?

社会の幻想に気づかず集める事に洗脳される人々
それでも人は欲望の為に働きモノを集め続け、無駄な時間を過ごし尽き果てる

そして生まれ変わりそれを繰り返し尽き果てる 永遠に命は欲望を満たす為だけに動き続ける

生きるとは大人になり集め続けた「欲望 自我」という名のガラクタ捨てた先にあるものだと感じる


6.23.2013

職場での苦悩~人間関係~

人はなぜ優位に立ちたがるのだろう
そんなモノは生きる上で役に立ちはしないのに
そんな話を体験から書きました。

狭い範囲で言うと会社での出来事「あの人は出来ない」「要領悪い」「どうこう言われた」など
まあ何でも良い、毎日様々な事が起こる

例を挙げると会社で誰々に何かを言われたとして友人や知人に愚痴る
「あの人は何様」「あの人はなぜそういう事をするの」と
これはあなたがその人と同じ事をしていると言うことに気づいているだろうか?
その人は私に酷い事をした。あなたは傷つく、しかしその事を友人に言う直接ではないが罵倒している事には変わりはない。方法が違うだけで全く同じ事をしている

私という大切な大切な存在を正当化するため、ある人はあなたに言いあなたは別の人に言う
これが普段日常で起こっていること
側面があればもう一方の側面がある

しかし自我という永遠の私に執着しているために気づいてさえいない。
私は絶対ではない!その人も私と思い あの人も私と思っている電車の目の前の人も私と思っている。皆私私私の集まりだ!どっちが良い悪い、正しい正しくないも存在しない

他人が歩いていたとする
あなたが右へ曲がれと思ってその人は右へ曲がるのか?有り得ない
その人の考えだ!右へ曲がれと思い曲がった人は正解で左へ行った人は間違いなはずがない

言う事を聞かないのは当たり前の事で皆私という固定観念で生きている
これを知ると怒れなくなるし穏やかに過ごせる

やるかやらないかは相手次第だという事

そして繰り返すうちにあなたの信頼と懐は深まっていく―

他人は私を映す鏡

見て見ないふり
自分の嫌いなところは盲目だ!
しかし他人の嫌いな所はハッキリと見える
自分のその部分には触れたくない

隠したい覗き込めないし指摘もできない それは恐いからだ!
しかし他人の事は指摘する 指摘できなくても思っている 
それは満足するからだ!

他人は自分を映す鏡
怒りには怒りで返され
笑顔は笑顔で返ってくる

誰もが自分の世界に浸かっている
あの人とは価値観が合わない
あの人とは意見が合うから仲良くする
会社でもそんな感じだろう

例えば会社であなた以外が全て敵になった場合はどうだろう
無視され陰口を叩かれ罵声を浴びせられる。あれほどキツい仕打ちは無い しかしこれは側面にすぎない
もしかしたらあなたは逆の事をするかも知れないし、しているのかも知れない。
しかしそれはコインの裏表でしかない。どちらの立場になるのかは紙一重 
人の心がコロコロ変わるように状況は一瞬で変わる

一方にいれば批判し、もう一方にいれば助けを求める 
どっちの立場でも他人と共にする事には変わりはない
批判も他人と一緒に、助けも他人に求める。どちらも共感してくれる人を探し求めている
私を守るために私の価値観を固持するためだけに

私は両方の立場を経験したが・・・

社会には必ず他人が存在する
誰も居ない山奥に逃げるか現状を受け容れるかどちらかだ!

しかし受け容れるには時間がかかる 精神も参ってしまう
そうなる前に一度あなたという人間を見つめる必要がある。
愚痴を言ってはいないか?価値観の合う人だけを集めて自我を満足させる事に囚われてはいないか 私が上だ誰が下だと自己満足してはいないか見つめる必要がある

不満と満足 一方の側面に置かれている時もう一方の私を冷静に覗いてみてはどうだろう
あなたは無意識に何をしているのかを知った方が良い

意識がハッキリしていれば両方が出来なくなる 出来るわけがない!

盲目のまま居たいのなら居れば良い
それはやがてあなたに返ってくる事だと自覚の上で・・・