11.23.2013

情報の怖さ

テレビやネットで情報は絶えず流れている。それに反応する人間

その情報は本当に必要なのだろうか?

不安を煽られたり、興奮させられたり情報によってコントロールされる

不自由なく暮らしているはずなのに、ある情報を目にすると?欲求がうまれる事がある

たちまち不満が訪れる

テレビの情報ネットの情報は本当に必要なのだろうか?私はテレビを見ない。それで困った事は何一つない

情報??聞きたいことあれば聞けば良い
わざわざ勝手に流れている情報を得る必要はない

生きる!ということを基準に物事を考えると無駄な事が多い

私は私たった一人の存在で命が宿る肉体で魂が宿る存在だ

何が生きる上で重要な事なのか深く考える必要があるpiece

7.25.2013

たった1つ存在の重み

ぼくはこの世界にたった1人しか存在しない
愛犬ぶぅちゃんもたった1つの命

そう考えると、他人もたった1つの存在で
街を歩く人も
友人知人も
そして好きな人も嫌いな人も世界にたった1人しか存在しない

誰がこうだ!誰がああだ!なんてくだらないね!
その比較すらくだらないね!小さいよ!

この命が人が動物がたった1つ1人しか存在しないのなら
自分も大切だし
他人も同じように大切だし
どんなに嫌いな人でも自分と同じように大切にしないといけない

生命という基準で考えると世界は全て繋がっているし

その世界にたった1つの存在という名の命は全部繋がっていた

命より金が大切な人間は存在しない
命より大切な存在はこの世にはない

出会った人もそうでない人もそういう目線で捉えると
今まで見てきた世間とは違うものになるだろう
自然も破壊できない
人も傷つけられない

それが誰であっても動物でも自然でも自分と同じように
優しく包むことができるだろう

それが生きるということで生きているということ


7.24.2013

考え方をプラスに持っていく

人はある事が起きると、その起きたことに対し考えるが
重要なのは起きたことで何を意味し何を学ぶか

それが重要でマイナスに考えずプラスに持っていく方法

例えば身近な人が死んだときに、悲しい........で終わらず
死は誰にでも起きること、私もいつか死ぬんだと自覚し
今やっていることを見直すきっかけになる
命は永遠では無いと子供に教えることもできる

死から学ぶべき事は多い
後悔は誰にでもできるが、その想いを忘れないこと
命は限りあると忘れないこと
永遠は存在しないと忘れないこと

私が死から書くのは絶対的な事だから
私利私欲の為に動物を殺し食べ、自然を破壊し続ける

それが結果自分を苦しめている事だとも知らずに欲まみれ

欲があるから苦しむ!産まれて直ぐの子供に苦悩は無い
なぜ?いつから苦悩は起きた?どんなとき?

原因が必ずあるということ


仕事はしなければならない事なの?何のために?

人は何が幸せなのか完全に見失っている

ひとりでいれば寂しいと言い他人と関わり不満を言う
仕事ではストレス野望絶望希望の中で本来の幸せになるために
という事を忘れ去り目の前の金、遠くの未来そして過去に触れ続けている

休日には旅行、ショッピングと様々出かけ落ち着く暇など何もない
又仕事又休日 それを何十年も続けている

何のために?

生活?権力?地位?競争?何のために?憧れ?
目を冷ました方が良いね!

実際生活しなければならないと人は何が言い、それは理想論だと言う
理想でも何でもないね!現実だよ!

理想だという人間は未だに世間に世間の価値観に縛られているということ
私も以前は理想だよ!現実に仕事しなければならない!と考えていたが
今まで身につけてきた価値観を捨てていけばいい話

以前は私も月に30万あっても全然足りなかったけど今は月に10万円あれば快適に暮らせるね!何の不満もなく
孤独に耐えられず出かける リラックスするために出かける  ストレス発散のために出かける

孤独、リラックス、ストレスは全て自分の中にある問題だとも知らずに
知っていても見ないふりをしている 出かけて誤魔化しているだけなんだよね!

理想を掲げ、憧れだけを抱き、過去と未来に振れ続け何となく生きる

何のために?と疑問を抱き  なぜ動物を殺し死体を食べているのか?
なぜ足りているのに流行のために服を買いまくっているのか?
なぜ仕事をしてそれだけの賃金が必要なのか?

何のために?と疑問を感じた時
自分の行動を見た方がいい、どれだけ無駄でどれだけ意味のない事をしているのか
人生という時間を無駄に生きているのか

7.22.2013

幸せの定義

幸せって何よ?

幸せの定義って?

モノ?金?出世?勝ち組?

それが幸せなのか?

これだけモノに溢れ豊かと言われる日本で悩みや苦しむ人が多いのはなぜ?

幸せとはモノや金ではないと既に物語っている


7.21.2013

守るべき仲間がいる!!!!!

守らなければならない仲間がいる!!!!!

人生かけて守るべき命がある!!!!!

そのために俺はやる!!!!!!

蘇るあの想い




7.20.2013

結果が全てなのか!?

結果が全てなのか?

確かに結果は求められる
しかし大切で面白いのは過程なんじゃないかな

例えば小説を読んだとして結末を知る為に何ページも読み進む
だけど結末を知る為にはその過程が必要で過程が面白くする
その過程で様々なドラマがあり終わりを迎える

仕事や人生と同じだ
結果にたどり着くには平坦な道ではない
道があって歩む訳でもない

道を創りながら歩んでいく
その道は楽しいのか苦しいのかは本人の気持ち次第

そう考えると過程は楽しまないとただ苦しい道になってしまう
自分の人生は自分で歩かなければならない
自分の道は自分で創らなければならない

自分を信じて一歩踏み出す勇気
その一歩にはあらゆる感情がつきまとう
「どう思われる」「失敗したくない」「笑われるんじゃないか」と
特に他人を気にし踏み出せない!

自分の人生なのに創造が邪魔をする
そんなときに如何に自分を信じて一歩踏み出すか!
失敗は存在しない

失敗と思うことが失敗なだけで
理想と違ってもそれを恐れず一歩を踏み出す勇気
失敗はをチャンスに変える思考

人間ドラマ
そのドラマを面白くする苦しいものにするかは自分次第




7.18.2013

GIVE and TAKE

想いは行動や態度に出る

私の人生の師匠は愛犬ぶぅちゃんです

今までの12年間愛情を沢山もらいました

しかし私は応える時が少なかったです

それでも帰れば走り回り喜びを全身で表現してくれ

常に私の行動を気にかけてくれる   言葉は無いのに感じる想い

人間は言葉を話せるのに伝わらない事が多いです

なぜなんだろう?

それは本人の意志気持ちが弱いからだと気づかされました

ぶぅちゃんは重度の病気でいつ亡くなってもおかしくない状態なのに

愛情を未だにくれます!いつ死ぬかわからない状況で誰かに対し最期まで愛情を与える事が出来るでしょうか!?

言葉は無くてもその想いがあれば人は感じる生き物

言葉<想い

伝わるかどうかは本人次第
全ての出来事や物事は自分次第 例外はなく全部自己責任

だって自分の人生だし!他人の人生ではない

どう思うかも自分次第  どう考えるかも自分次第  何が起きても自分次第

起こるべくして物事は起きる

give and take!

諦めず与え続けるからこそ返ってくる




人間は面倒くさいなあ~

自分の意志で行動する人間 しない人間

仕事でも行動する人間 しない人間がいる

しない人間の言い訳「頑張っている」「考えてやっている」―結果を無視して
結果が全て その過程が今で頑張る必要はない 
ただ足元をみて目の前の事を全力で考えこなすだけ

しない人間はやる気が無い!言い訳など必要もない 
真剣にやるから知恵が現れる
しない人間は出来もしない遠くを見てばかりいて肝心の足元がおろそかだ!!!
「目に前にあるよ」と伝えてもなぜか目の前が見えない
それで何を成し遂げようとしているのか疑問だが気づかない

気持ちが無いから 気持ちが弱いから現状維持

いくら提案や伝えても動かないのはその本人に意志が無いからだろう

現実を見れない人間―

動くときは危機感を感じた時―
動くときは想いが本物の時―

危機感も想いも半端だから動かないのだろう それならどん底に落ちるまで見ているだけ
手助けは一切しない

本当に心から「やる」「このままでは危ない」と覚悟を決めた時人間は動く

全ては本人次第 「やらされている」と「やる」ではやっていても見えるものが違う

どん底に落ちた人間は強い―あの悲惨な時に戻りたくないからだ

落ち込みも半端なら気づきも半端だが、落ち込みが酷い時は気づきも正比例する
ピンチはチャンスそのもの ピンチを最悪と捉えるか 何か教えてくれるチャンスと捉えるのか!ピンチは楽しい「何を教えてくれるのだろう」と私は思う

動かない人間を動かそうとしても疲れるだけ―時間の無駄、放っておくのが良い
私ではないのだから思うように動くわけもない
その負が他人に影響しないように目を見張るに徹する―どん底を見て上がろうとしたときに手を差し伸べれば良い

自分の人生は自分だけが頼りで自分だけの人生だ

今日も一日明日も一日 そこで何を考え自分を見つめて形にしていけるのだろう

時間だけが皆平等に流れている


7.17.2013

光を放つ人生

いつかは死ぬから強烈に光を放ち全力で生きていこう

7.15.2013

ダンボールECOリメイク 

小物入れに
下地に様々な色を使って仕上げたBOX

Tシャツ入れたり置いとくだけでいい感じ
錆びた感じのリメイク お気に入りだ



7.13.2013

比べる事で自己嫌悪に陥る

人間は比較してしまう唯一の生き物

私は犬を2匹飼っていたが比較しているところを見たことがない!
人間以外は比較しないのだろう

そして人間だけが過去の自分とも比較してしまう!!!

充実してた過去の記憶
輝いていた過去の記憶
満足していた頃の記憶との比較

例えば犬や猫は比較するだろうか?
私より裕福だ  私より能力がある   私より可愛いなど比較しない
ただ今があるだけ!現実だけに生きている

「あの頃は良かったワンッ」ては考えないだろう
そして「将来はこう成りたいワンッ」ては考えないだろう

様々な有ること無いことを創造し生きているから苦悩する
他との比較 過去との比較それを未来に投影し苦悩する

こうして比べて自己嫌悪に陥り苦悩の中に生きてしまう


選挙になぜいかないのか―興味ないから(笑)

友人になぜ選挙に行かないのか聞かれた

私は一度も行ったことが無い
なぜ?と聞かれ応えた

以前は自分の事で精一杯だったから政治なんてどうでも良かった
食うために、欲を満たす為に生きていたから

そして今―
興味は無い!政治に頼ろうとも思わない
私の人生は私だけのモノだし 私は私の道を歩むだけ

これだけ豊かな国で何を望む必要がある?
快適な住まいもあり、水や食事にも困らない
選ばなければ仕事だってある

何も望まなければ充分な生活を送れる

モノに溢れて安全に暮せるが人の心だけが貧しい
私は福島の原発事故の犠牲となった犬猫を救いたいからこのNPO法人に入った
犬猫の世話をしている方々の雇用にも繋がる
あれから2年以上 今でも支援するために募金活動をしている

支援活動が良い悪いの話ではない 当たり前の事
困っている→助ける 私が出来ることをする 
当たり前以外のなにものでもない ただ普通

何かを望めば不満が現れる 己の願望の実現―それが選挙だろ!?

私は私がやるべきことをただやっているだけ
人の心だけが貧しい ただそれを感じてはいる

願望と現実の狭間で苦悩する

「どうでも良い」

自ら追い込み潰れかけた時に気づいた言葉「どうでも良い」

私なんてどうでも良い 他人なんてどうでも良い どう思われようがどうでも良い
どう見られていてもどうでも良い

全てがどうでも良い―

私など、何も出来ないのだからどうでも良い
私など、大したことはないのだからどうでも良い
私など、誰も気にしてなどいないのだからどうでも良い

他人を気にするという事は裏を返せば、こう見られたい思われたい こう在りたいという願望でしかない

願望と現実の狭間で苦しんでいるだけの事
私の全てがどうでも良いと諦めてみる

どうでも良いという言葉は後ろ向きに聞こえるが全てを受け容れるという事


実際仕事をしていても、街を歩いていても電車でも誰も見てもいないし、誰も気にすらしていない
気にしているのはあなただけ
「どう思われている」「どう見られている」「どう評価されている」

皆が自分の事を思っているのにいちいち気にしていたら身がもたない

頭の中は他人を気にしてばかりいる 他人を気にするという事は自らがそう在りたいという願望だと気づくこと ただの自意識過剰(笑)

自らの力を過信し過剰評価をして「あの人は解っていない」「私はもっと出来る」と言い始める
人間は在るべき姿に在る 今が全てでそれ以上も以下も無い
今この現実だけが全てだ!無駄な願望は捨てる―

皆が自分の事だけを考えて生きている それをいちいち気にしてても仕方がない
「誰々が・・・・・・・・」「誰々が・・・・・・・・」
「私は・・・・・・・・・・」「私が・・・・・・・・・・」どうでも良い全人類考え方が違う!当たり前のこと

どうでも良いと全てを受け容れた時 
心は解放されあなたと他人の存在は消えてなくなる―




7.12.2013

時間だけが皆平等に流れている

時間だけが皆平等に流れている

どう使おうがその人の自由
ある人は仕事中心に
ある人は遊び中心に


時間だけが皆平等だ!しかし戻らないのも時間

ただただ過ぎていく
そして老いていく…………時間は自由なのにその人は自由ではない


時間をどう使う?

7.10.2013

嫌なことをしているほど人生は長くない

先を見れる人間か?

例えば仕事で順調にいっている時落ち込んだ時を予測し次のステップを見出せるか!?

しかし人間は落ちないと動かない生き物「ヤバい・・・」
そのヤバいをいつ見るか、本当にヤバくなったらもう終わりだ・・・


管理している人間が伝えるのは当たり前で しかし相手が動くかどうかが問題だ 「面倒」「やりたくない」「まだ大丈夫」まあそんな感じで動かない

しかしヤバいと感じた時にはヤルしかなくなる
結局後々にやることになるのだから直ぐにやれば問題はないはず
それを先に延ばす・・・・いずれはやる事になるのにも気づかずに

自分への甘え―努力は自らが合った道でするべきで合わない道で努力しても成果は出ない!

その時その時の妥協…………そして歳月は過ぎ去る。気づいた時にはもう遅い
それでも動かない動きたくない人間はその仕事を辞めた方が良い!なんの為に無駄な時間を過ごしているのか…………

生活の為に嫌な仕事をしているほど人生は長くない

7.09.2013

いつも堅苦しいブログなのでダンボールのエコリメイクでも

この普通のダンボールが・・・

こうして塗ると!

こんな感じになり


そして文字を入れ仕上げる


AGING PAINT炸裂!!!!!!この感じのBOXは高いしね

引越しで捨てられるメリットもあり、オシャレエコで最高!!!

今までの人生を書くと面白いよ!!!

過去から現在までの人生を書いてみる
これが意外に面白い

大学では○○専攻して
○○に就職し○○に旅行に行き
何歳で結婚して
何歳の時に子供が生まれ
何歳の時に部長になり―そして現在

これは人生ではない!まるで機械のようだ………

過去から今までの人生はあなたしか歩めなかった、誰一人として同じ体験や経験は無い、完全なオリジナルだ

これを書くと客観的に見つめられ面白く、そして気づかせてくれる
なぜこれをブログにしたかと言うと

本ばかりに頼り、自分の人生で気づいた事を自分の言葉で話せない人が多かったから
いくら本を読もうが、他人が体験経験した事を読んでも結局私ではない!と気づいた

私は私 その他人と環境も思考も身体も感情も趣味も食事もあらゆる事が違うのに読んだところで、そういう人間に成る訳ではないと気づいたから

しかし読書は様々な事を気づかせてくれた、実践もしてきたーそして今に至る

知識はゴミ 知識だけあっても何の役にもたたない。自分に落とし込まないと意味も無い
「有名な○○がこう言ってた、○○に書いてあった」

で????それからどうしたの?それがどうしたの?

読んで知っていると勘違いしてしまう

あなたの人生を振り返り書いてみる 人生を語る!?



7.08.2013

自ら歩む人生は―

あなたの人生は―

社会でも政治でも企業でもそして他人でもなく あなただけが頼りです

自らの足で自らの道を歩まなければならない


上手くいっている時といかない時は何が違うのだろう~充実と退屈~

良いときの記憶ー

この記憶が間違いを犯してしまう
「あの頃はー」「昔はー」充実していた頃や刺激的だった頃が強く残る

私の体験から話すと
パチスロに依存していた時期がある。朝から晩まで毎日毎日
1万円なんて30分で消えて無くなり1日で30万以上儲かる時もあったそんな時代
「儲かる!しかも楽をして(笑)」働きたく無い私には最高だった

こうして良い思いをしていた頃の記憶は強く残るから同じ過ちを犯す
例はスロットだがこれは何でも良い。ブランドでも金でも買い物でも何でも同じ

満たされれば表面はどうでも良い 

「若い頃に戻りたい」良く耳にする言葉
これも同じ事で若い時は何をやっても新鮮で刺激的だ!あれも初めてこれも初めて、刺激があれば心は満たされている―その記憶

この記憶が空虚へ突き落とす!退屈を生み出す
楽しい頃の記憶 刺激的だった頃の記憶 充実していた頃の記憶そして現在―過去の自分との比較 前は・・・・だったのに…………

時は流れているが頭は過去に捕まっている

退屈や空虚感を払拭するには、体験したことのない想像を絶する新しい刺激的な事をすれば良い
しかしそれは一時的なモノ またその記憶が強く残りそれ以上の刺激を求める 
金儲けも商売も買い物も旅行でも根本は全て同じだという事 表面に騙されているに過ぎない

心は刺激あればあなたの気分が良くても悪くても関係はない!刺激さえあれば良いんだから
仕事が上手く行かないときに彼女が出来て何故か順調に進んだりする
心が満たされた ただそれだけ

しかしこれも永遠には続かない……
何かを求め退屈し、何かを求め絶望し、何かを求め興奮する 心は何かが重要では無く 刺激があるか無いかで変化しているに過ぎない

しかし人間は心に捕まり限りある時間を退屈だと思ったり 限りある人生に不満があったりして生きている

PCで見ると私のプロフィール載っているが16歳から私のやりたいと思った事を20年で全てやり尽くした 遊びたいと思えば仕事を辞め遊び、仕事にも没頭し役職も手にした時がある 欲望に忠実に従い一切我慢はしなかった!そして今36歳―

刺激あることも求める必要も無く、かと言って絶望している訳でも無い やりたいことも無い 憧れも無いし不満も苦悩も退屈も何も無い ただ普通、いつも普通(笑)

価値基準は人それぞれだが世間に幸福というモノは無く最終的に私自身に見つけたという事

修行僧は悟りを得るためにあれこれ行を積むが、限界までやり尽くした後に悟りがある 「やるべき事は初めから無かった」と・・・そのやってきた事へのアホらしさに気づくまでの道
悟りはどうでも良いが私はこれを街の雑踏で体験したという事

これも表面が違うだけ―私は欲望にまみれ苦悩したくなかった

刺激が続けば充実してると錯覚し、無ければ空虚に襲われ退屈だと言う
そして刺激を求め街を彷徨う―

7.07.2013

なぜ上手くいかないのだろうと考えている人に読んで欲しい~固執の正体~

中村文昭さんの本を読み 講演会でも話を聞いた事がある

返事は0,3秒で「ハイ」と答える。そういう人間

素直?単純?まあそんなのはどうでも良い。この間髪入れずに答える事で後ろを振り返らず、やらなければならない状況を自らつくっている

人間は逃げたい生き物だ
「楽な方へ」「快楽の方へ」
しかし一掃するこの返事 言い訳もできない逃げれない
「やりたくない」「できない」という言葉もない

瞬間に生きる―常に今に生きるしかなくなる

大体の人間は聞いている状況で既に自分の体験やら経験やらを頭に浮かべ次に話す事を考えている
「私は~」「私も~」と…………
聞いていたはずなのにいつのまにか聞いていない状況になってしまっている

あなたも試してみると良い
誰かの話を聞いている時に何を考えてしまっているのかー


50人中50人が自分の事を考えている

こうしていくら良い話を聞こうが読もうが現状が変わらない
これが固執の正体

私という自我で何を成し遂げようが大した意味も無い
成果や結果に興味も無い

素直に生きたほうが携わる人々の為になり、結果あなたの為になるという話

ありのままに観る

現実を直視するほど人間には大変な事はない

ありのままに自分を観てみる

頭は過去や未来に揺れ続け狭間で苦悩する

ありのままに観るのはとても怖い………自分が崩壊するかのような感覚 今まで培ってきた事が崩れ落ちる

しかしありのままに観れた人間はとても落ち着いている
私という存在を見つけたから

何があっても動じないし悩む事もない

悩みを一掃したいのなら
ありのままの自分を全て観てみる事

7.06.2013

絶望から見つかる正道2

固執ーあくまでも自分の意見を譲らないこと

成果の出ない人間の典型
考える事に時間を浪費し、やらないのにオリジナルを出そうと考える……………私には何かがある…………と

固執以外の何者でもない

例えば何年とやってきて散々自分の固まった狭い狭い頭で考え、行動もせず結果も出ずそれでもオリジナルで打開しようとする―
目の前の足元にあることもやらずに先ばかり見ている
その先には何がある?現実を直視できない人間に先は無い

気づいた時には部下に抜かれ
気づいた時には居場所を無くし
それでも固執しプライドを守る頑なに守り続ける

私には何かがあると可能性だけを頼りに

自我という殻は分厚い

足元にある事にも手を付けられない人間が未来に何かあるはずが無い!
これ程までに固執する意味は何なのだろう―可能性なんてものは初めから無いのに、その遠くの可能性だけを見つめ永遠に辿り着かないゴールを目指す

足元の事を一つずつ掘り下げて考え、そこから次への一歩を踏みだす事が出来ない

永遠に辿り着かないゴールを目指すのか、足元を見て一つずつクリアして近づいて行くのか


固執と共に盲目し永遠に迷い続ける
固執と共に時間だけが過ぎ去り出発地点で尽き果てる―


7.05.2013

絶望から見つかる正道

固執ーあくまでも自分の意見を譲らない事

なぜ固執してしまうのか………
今の道がダメだと思ったら方向を見方を変えれば良いだけの事
一つの目標があれば何通りでもやり方はある!今のやり方で通用しないなら別の角度から攻めれば良いだけの事 しかし人は固執する そのやり方で努力すればどうにかなると勘違いする

努力は自らの合う道でするべきで、反れている道で努力しても時間と労力の無駄でしかない
簡単に言えば、野球センスがあるのにサッカーをしてるようなもの、しかしそこに固執しているから野球が見つからない

出来ない出来ないと悩むより、自らが出来る道を探れば良いだけの事
固執していれば楽だよ、同じ事繰り返せば良いんだから 

新たな方向や道を探す事も出来ないなら既にやるべき仕事ではない辞めた方がいい
人生の時間を望みや憧れだけで無駄にするべきではない

「いつかは」「そのうち」正しい道ならそのいつかは既に足元に在る 未来には無い
ダメなものはダメと割り切る。固執している時間など無い

そして新たな職や道を探れば良いだけのこと 
砂利道を走るより舗装された道で走った方が早い!誰でも解ること
しかし固執という名の自我が邪魔をする。あなたは気づかないフリをしているだけ!!!!!!!!!変えられない動けない!!!!!!!!


その道があなたの在るべき道ならば
自ずと行動し考え、もう絶望するまで探し続けるものだ!

その絶望から初めて道が見つかるという事

絶望と希望はコインの裏表で
絶望するまでやることが出来るかどうか

それが在るべき職で在るべき道だ

不安はなぜつきまとう!?

「今後が不安だ」と知人に言われたのでブログにも載せてみた

誰もが経験する感情ー不安

不安を打ち消す為に様々な事をする
しかし不安は募るばかり
不安を打ち消す為というよりは安心したいという感情の方が強い、そして様々な事をし不安という感情を誤魔化していると言う事 その不安はやってもやっても消えない

自信を手に入れた時に消えたように感じるがいつか不安は襲ってくる
これはどこからやってくる感情なのかを見つめる必要がある

私の経験から例を
売上を上げる為にある店舗に行く
お客さんに来てもらう為に宣伝や従業員の教育を任されてきた事がある。一つの店舗が売上回復すれば更に別の店舗を任される。それを次々していくうちに以前は無かった不安の感情に襲われた…………

売上を上げて当たり前という不安
お客さんを呼ばなければならないというプレッシャーを1人で背負い込み闘う
初めの頃は売上を上げた実績も無かった為不安は全く無かったし達成感の方が強かった
しかし過去の上げたという記憶が不安を煽る。そして自信と不安の狭間で闘い続けるー

こうして過去の記憶や他の評価を気にし、記憶を未来に投影し不安を創りだしている
他の評価や上手くやりたいという理想を観てしまったらもうあなたは今にいない

これは私の推測だが記憶喪失すれば苦悩も不安も消えると思う
過去が無ければ未来へ投影出来ないからだ
今の現実しか存在しない。生活に多少なり不便はあると思うが私という自我が消えて無くなる 

しかし私など価値も無いのだから困る事も無い 私という存在に価値を与え、生きるという自然現象に価値を与えようとしているから道を誤る 私の価値基準なんてゴミは一掃した方が清々し穏やかに生きていけるという事実

過去未来過去未来過去未来ー

望みと共に不安がやってくる
理想と共に不安がやってくる
過去の記憶と共に不安がやってくる

「不安の不在」あなたに意識の全てを向けた時その一切は消え失せる―


華の蜜~人間の詩~

望み期待し求め続ける
自分に望み期待し求める
相手に望み期待し求める

その自分への望みや期待の裏側には何がある?
その相手への望みや期待の裏側には何がある?

自我―これだけだ

希望という華 憧れの華 欲望の華に群がる人間

楽しい事は何もない、それは一瞬の幻想  永遠には続かない
人間は一度でもその甘い蜜を吸えば又吸いたくなる生き物

楽しかった頃の記憶
充実していたころの記憶―あの華やかな輝いていた頃のように…………

そして記憶という名の蜜はあなたを絶望へと突き落とす

7.03.2013

人間の詩~心と空~

空はスッキリと晴れ渡っている時もあれば厚い雲に覆われて悩みのような時もあり
悲しい時には雨を流し、怒りの感情は雷雨のようにも映る

心というモノを空と捉えて観ると常に変化をしているのが手に取るように解る

空を眺めるように客観的に自分の心を見つめる
決して同化せずに遠くから眺めるように観る―

空は瞬間で動いている
雷雨という怒りは永遠に続く訳でもなく、厚い雲に覆われたどんよりとした気分も続かない。しかし同化してしまえば心の空は晴れる事も無く雲に覆われてしまう

この移り変わる空を同化せずに眺めるように観れば、あなたの空に星が輝く―

悩み人間多発警報~悩みは贅沢!?

悩みが多い人間は大勢いる
贅沢だよな…………悩む時間があるだけ贅沢

100円も無い生活を5度も経験した私は悩む時間なんて無かった 食うものが無ければ死ぬから 一人暮らしなので誰も頼れず、持っている本を売りに街をさまよった…………「買い取れません」の一言で絶望し家に戻り水で腹を満たして過ごした。今なら笑い話だが―

その事を考えていたら、あの苦悩の日々は贅沢だったとすら思える
普通に働いてからの方が悩み増えたし!!!!

16年前に恵比寿・新宿でホームレスになったり
食えない時があったり

悩んでいる人は贅沢病以外のなんでもない
餓死するわけでもないし、外に寝るわけでもないしね

悩む時間がある位なら奉仕活動した方がよっぽど為になる

苦悩など、たかが自我に振り回されているだけ、思い通りに事が進まないからだけのこと☞元病み人は語る

体験と経験の違いで変わる未来

「体験に価値を見出した時その体験は経験になる」

様々な経験をし今に至る。そして皆が違う―

仕事でも同じ事をしているのに結果に差がでるのだろうと考えてみた
これは体験した時にどう感じどう考えどう活かすかの違いだと思う

「継続は力なり」確かに継続は力だと思う。その時は出来ても続けて行くのには忍耐も必要だし、続けて行くことで信用もされるというのは何となく解る……………が
世間から見れば私など転職を繰り返して長続きしない人間だと思われ、飽きやすい、気持ちも変わりやすい人間だと思われているがただ単に私は私に正直なだけ 他人の意見他人なんて関係は無い これは私だけの人生だから

その分野で力が発揮出来なかったり、やってみて違うと感じた事は続ける意味が無いと考えてきた。力が発揮出来ないのに努力でどうこうなるわけではない
力が発揮出来る所で努力が必要なだけでこの部分を間違えてしまう

必ず力を発揮出来る役割や分野というものがある それに出会っていないだけ 現状維持―時間は戻らないそして中年で危機を感じ自分探し……………………もう遅い

体験は皆平等にある その体験で考えたか放置したかの差だと思う
世間的に真っ当に生きてきたつもりが気づけば人生を無駄にしてきたという事 過去にその一歩を踏み出せなかったという事


誰も他人のブログなんて興味はない(笑)が私は書いている 読む人間は予想以上にいるが、書くことによって私に気づく事があるから日々書いているだけ

私は私を知っているだけ それで充分だ



7.02.2013

20年で25種類の職業を経験した男の話

私はNPO法人に所属し東日本大震災復興支援活動に携わっている
16歳から社会に出て今年で20周年 社会の厳しさや様々な事を体験させてもらっている

今現在 募金活動支援を中心に活動をしている。しかしこの単調な作業だけに奥が深い
一日何時間もの間大声を出し頭を下げ続ける、しかも毎日の事になると気持ちも変化してくる

初心を忘れ想いも薄れただこなすだけ。。。。。。。。協力者も減少し更に気分も落ち込む

サービス業もそうだが相手側の立場になってやらないと自己満足で終わる
ただ単純な作業。。。。時間から時間への作業となってしまう

今の現状次第で様々変えていかないと何の進歩もない
「どうすれば良いんだろう・・・」こんな言葉は要らないし誰でも言える言葉

様々実行もせず頭だけで考える人間
現状維持から抜け出せない現状維持をすれば当然のように下降する

いざ困った時に対応が出来なくなる

様々な職業はあるが、全て自分次第で他人なんて一切関係は無い!他人や社会のせいにすればそれは簡単な事

震災から2年以上が経過したいまでも想いや相手側の立場になり活動すれば歳月は問題ですらない。問題は本人の気持ちだけだ

たった一つの単純作業でもどこまで深く掘り下げ考え、そして実践を繰り返していけるかどうか
そして実践することにより洞察力が身につく 洞察力があれば何の職業に就こうが問題は無い

ちょっと視点を変えれば良いだけの事、ちょっと相手側の立場になれば良いだけの事

洞察力―生きていくうえで大切な事





無努力

すべての努力はあなたが一切の努力を後にして無努力の地点まで導くものほかならずー

生きる価値というものを追い求めてきた20年という歳月
そこに一切の後悔は無い!私の思うすべての事をやり尽くし何一つ無かったという事 悔いは微塵も無い

私の可能性や価値そんなモノは無かった…………私という自我に雁字搦めにされ欲望を満たすためだけに生きていた過去。追っては逃げ追っては逃げの繰り返しそれでもいつか何かがあるはずだと信じて…………

「後悔しない人生を」この言葉が原動力だった。何も考えずやらずに後悔するのが嫌だった。時間は永遠ではない。限られた時間を無駄にはしたくない

この狭い脳の世界で生きあれこれ考えているだけ(笑)脳にくっつきそれに従う心
そんな狭い世界で生きてしまっている人間・・・・ 

しかし体験の記憶だけは私のモノ

「あの人が言っていた」「あの本に書いてあった」「あの人・・・・」それはその人の体験の記憶を話しているだけであなたではない。あなたの言葉で話せない程人生が浅かったという事 
生まれ変わり同じ過ちを繰り返す。永遠に生は苦悩の連続

生きるとは 自然現象でそのものに価値は無かった 
生きるとはなんでもない事 自ら命を絶つことはしないが今終わっても良いし終わらなくても良い
私が生きていようが生きてなくても関係は無い


私という自我に雁字搦めにされ欲望を満たすためだけに生きていると理解した事 
私という自我に従い生きていたと言うこと 生きる努力を全力で取り組み気づいた事

自我の奴隷
 

知識というガラクタを詰め込み生きるのでは無く、自らの足で歩む




7.01.2013

病み時々晴れ

全ての問題は望みから来る

望みから未来がやってくる
望むから絶望が一緒になる
望むから不平や不満が起きる
そして欲心は永遠に続く………

偶然にある人をあることを、ある物を知り
「こう成りたい」と憧れ自分にあらゆるモノが足りず絶望する

私の体験ー「このモノが欲しい」と心が動いた瞬間から手に入れたいという衝動が起きる それを手に入れれば、それに合う別のモノが欲しくなる 手に入らなければ不満が芽生える
もっともっとと欲深く

そして自ら望みを創ったにも関わらず悩んだり、不満が起き絶望する
今度はその不平不満を誤魔化す為に別の何かを探し出す!酒、他人、異性ーそれはなんでも良い あなたが現実を受け容れられずに逃避出来る何かなら心は何でも構わない!
今の病みから苦悩からその場しのぎで逃げ出せれば良いと考える

そして今後新たに問題が勃発し苦悩する。しかしやっている表面は変わっているので、別の何かをして逃避すれば問題は解決すると勘違いしてしまう
最初に「あなたが自ら望んだ事」が原因だ!初めから望まなければ悩まずに済んだのに………見たときに、聞いたときに望まなければ悩まずに済んだのに……………

この欲望の欲心に気づけるかどうか!!!!!!!!!!!望まない人間なんて居ない 
望んで悩み 望んで不安になり 望んで絶望する

望みが無かったら悩みなんて何一つ起こりようが無い!

希望を持たなければ生きていけない
安心できない 価値はないと擦り込まれているだけ そうしないと
充実の生活も安心の生活も送れないという社会の幻でしかない

人間は社会の奴隷ではない

そして全ての物事はあなたの解釈で創っているという事も忘れずに

他人なんて一切関係は無い
あなたの心だけが問題だ


6.30.2013

広大な海へ~愚者の詩~

川の流れに逆らい泳げば疲れる

これは誰でも考えれば解ること流れに逆らえば疲れる
しかし流れに身を委ねるのにも勇気がいる

適当に流され行動するという意味合いではない

こんな友人がいる
管理職をしているが、常に代表と意見のぶつかり合い
自分のやり方を曲げず貫き結果は出す―しかし負担は大きい逆らっているから
来月に転職する「在るべき方向へと」委ねられるかは本人次第だが・・・

私もこのタイプだったがやると決めたらトコトンやり、嫌なら直ぐに辞める
嫌な事をやるほど人生長くは無い 時間の無駄だと生きてきたから―極端で中間がない根本は同じだ

頭をいっぱいにして「充実すること」が生きることだと勘違いしている。有る事、無い事を勝手に想像し現実にいないために―時間との狭間で苦悩する 欲しいと思えば買うためにあれこれ考え手に入れるまで頭から離れない。自ら作った幻想―愚者


流れに逆らう 流れに委ねる 委ねるのにも勇気が必要だ
今まで培ってきた記憶という名の自我が邪魔するからだ!
「こんな事をしていると時間が勿体ない」「前はこうしてきただろ」
「何かしないと時間の無駄だよ」と様々な行動に誘導してくる。これに引っかからないのは難しい
今までの固定観念があるから

しかし一度流れに乗ったら「楽で何も考えなくても勝手に在るべき方向へ流れる」
将来への不安は一切消え、全ての不満も消える。

逆らい泳ぐ奴は馬鹿だと言い、何もしない現状維持の人間には体験できない事
逆らい泳ぐことは努力でもない―今やるべきことを自然と考え実行する素直な人間
そして突っ走って暴走してしまう世間の愚者(笑)
自我に雁字搦めにされ忠実に従ってきた愚者(笑)

しかしそんな人間が流れに任せた愚者は賢者に成る
愚者と賢者はコインの裏表だからだ―正直にある事 あなたの本性は欺けない、自我は本性でも私でもない。偶然に発生した環境での好みの違いでしかない
普段「私は、私が」と言っているのはこんなチッポケな偶然でしかない。それに振り回され苦悩しているのが我々人間という生き物


自我を捨てた川の先には広大な海が広がっている
そこから更に海底まで潜ることが出来たなら
人生の一切の苦悩は消え失せる






6.29.2013

人生の中退!?~人間の詩~

私は人生の放棄者だ!!!!
どうなろうがどうでも良い!
このまま死んでもどうでも良い!

絶望の言葉に聞こえるが、絶望もしていない。私が思う全ての事をやり尽くしたから、死までの時間はゆったりとくつろいで過ごせればそれで良い

望まず期待せず何事も求めない

現在age36平均寿命で見れば人生の半分だ。半分はフルスロットルで生きて来たから残りはのんびりと過ごす。これで人生±ゼロ それでもう充分だ

ここに至までは楽しい事も沢山体験したが苦悩の方が
多かった気がする………

以前こんな人に出会った
会社経営しているが、3年仕事もせずに海外でゴルフ三昧、何千万の高級車なんて簡単に買ってしまう人だった
話をしていると「新しく事業を始めたい」と言ってきた
地位も資産もあり凄い所に住んでいるのに私には何故か苦しそうに見えた

私に「マッサージサロンを起業したいから協力してくれないか?」と提案された時がある
美味しいご飯も食べさせてもらったり・・・
雇われだが私には9店舗のサロン運営の実績があった―
しかし断った

理由は興味が無くなったからだ
やれば金も手に入っただろう、良い思いも出来ただろう
だが生まれてから死ぬまでの限りある時間を金やモノを集める為に使いたくはない 
欲望を満たし続ける為に生きていたくはない


そんな幸福もいらないし、そんな幸福は無い幻だ
その幻に憧れ追い求め苦悩し尽き果てる人生を自ら選びたくもない

しかしこの感覚に至までは欲望に駆られ生きてきた。あの頃なら事業をしていたと思う
もうウンザリする程様々してきたから言える事で―

やらなければ本質は見えないし
やらなければ現実も見えない
やらなければあの不安を味わえない
やらなければ私の言葉では話せない


世の中には正解も不正解も成功も失敗も幸福も不幸も
安心も不安も無い 唯一あるとすればあなたの自我だけ

それは、あなたの世界観という自我で世界を観ているにすぎないから
「私は私が私を私なら私しか私だけ」世の中は私で溢れている
数多く私という自我があるのなら既にそれは私ではない 

だから私は私という名の人生を放棄した

誰もが固執するその私とは一体何なのか??????


6.28.2013

人生の旅

人生という旅をすれば
つまずくこともあれば転ぶ時もある
疲れてゆっくり歩く時もあれば、元気に走れる時もある

その一歩が一日で
一歩踏み出したその道は平坦な道かもしれない
あるいは石がありつまずくかもしれない
穴がありどん底まで落ちるかもしれない

人生は一歩一歩踏み出さなければならない

しかしその一歩先の闇の道はあなたが創りだしていることを忘れてはいけない

人生という短い旅に華を咲かせるために

6.27.2013

鏡に話しかける者~自虐の詩~

悩みから抜け出すには思考では回復しない
私の体験だが一瞬は上がるが直ぐに落ちてしまう
「又あの状態」自己嫌悪に陥る・・・

仕事にも手がつかず目の前は暗闇 絶望
それでも抜け出したかった

自分の今ある感情をEvernoteに全て書いた。どうすれば良いかなんて解らない
ある日は違う人格が現れてそれと会話している程ヤバかった時期もある
「お前はこうなんだろう」「お前は何をしているんだ」etc

私の中には何人もの人間が居るみたいだった・・・

何か気を紛らわすものは無いかと油絵を始めてみたり、陶芸を始めてみたり
しかし現状は何も変わらない 目は死んでいる 鏡に話しかけたり・・・もう異常者だ

「苦しい・・・」

この状態が何か月も続いたが朝のCAFEの時間が唯一の救いだった―くつろぎの時間
時にはそのまま出勤もせず何時間も過ごした事もある

「どうすれば良いんだ・・・」

そんな朝の時間に気づいたことがあった
他人の存在に目を奪われている私 他人を気にするあまり自分を偽り何十年と創り上げてきた人格に気づいた
あの時こういう体験をしたからその描く自分になり、あの時の体験が又描く自分へと・・・
あらゆる人格の鎧を着ていた

今から20代10代そして幼少期と記憶を遡り、どうやってこの人格を創ってきたのか・・・・・・・・

彷徨っている暗闇の中に一つの扉が現れた
私は迷わずその扉を開けた

その扉の中には偽りの私が多数存在していた―そこはカオス

そして他に目を奪われている何人もの偽りの私を徐々に消し去った。心の負担が減り解放されていくのが解った
それは幼少期の頃の無垢な心に戻るような感覚だった

その後も扉は開けっ放し闇を覗き込んできた
見たくない 見えないフリをしてきた私の闇の部分

今までも問題はあったが表面的に解決すれば問題は無かったが、この時はもう今までの経験が何も通用せず目の前は暗闇だった

樹に生い茂る様々な自我 そして問題 その生い茂る葉を一枚一枚伐ったところで、問題の解決にはならないことにも気づいた

自我―私という偽りの人格

これが全ての問題の根だ!悩みは人それぞれ違う 育った環境も違う
しかし心の闇は誰にでもある この扉を開けて自分を直視できるかどうか

世間には何も問題は無い、他人にも何も問題は無い
たった一つの問題は何十年という歳月で自ら創りあげた自我だ!!!

今あなたは青年かも知れない
今あなたは中年かも知れない
今あなたは老人かも知れない

しかしあなたの実在は何も変わってはいない!!!身体は勝手に成長しただけで、体験の記憶もある しかし内側では何一つ変わってはいない


記憶を遡り今と幼少期は必ず違うはず・・得た知識なんてモノはゴミだ!!!
いつどういう体験をし自分を変えていったか見つめた時に本物のあなたが現れる

そのあなたと出会う日までの旅―

この扉はくつろいでいる時にしか現れない
探せば逃げていく 求めれば逃げていく―ゆったりと






6.26.2013

生きるのはなぜ疲れるのか!?

仕事への価値観・執着なんて捨てれば良い!!!

多くの人間が疲れている……
大半が仕事での人間関係

一年で何百日と労働し、心身を休める日は一時の休日
社会に出れば仕事での競争・比較・地位・出世そんなのが重要となって苦しむ

生活のツールでしか無い仕事を日々こなす心身へのストレス 
しかし重要となってしまってるから追い詰められる

たった一度の人生をこんな事で台無しにして後悔しないのだろうか……

具合悪くても仕事・何があろうが仕事 一時の休日を楽しむ為に…
死ぬ間際に「良い人生だったと」心の底から思えるのだろうか
疑問だ

何がしたいか分からない人も沢山いる
未来ばかり見つめて、過去に浸っていても何も見つからない

仕事なんてものは価値すら無いのだから手当たり次第にやれば良い
それで偶然何の迷いもなく没頭できる職が見つかればそれで結果OK!
見つからなかったとしても別に構わない 初めから価値など無いのだから

社会は仕事に価値があると思わせているだけ―
皆が皆そう擦り込まれているから誰も疑わない 


仕事に人間関係に心はボロボロで人に優しく接する余裕すらない……

街は戦場のように怒りや欲望に溢れ
それを当たり前と思い生活しているから、疲れない訳がない


どうでも良いー

私は20年で20数種類の職を転々とした。
つまらないと思えば直ぐに辞めてきた。これ楽しいと思った遊びも全て経験した。我慢は絶対にしなかった。その遊びの為に仕事も辞める。適当にバイトだけをする
そんな20年そしてホームレスから取締役まで経験した変な人間

私が思う全ての事をやり尽くしたから後悔も一切無い 今死んでも悔いもない

つまらない、苦しい事をしている程人生は長くはない

それよりも人生には重要な事がある


6.25.2013

雨時々晴れ~人間の詩~

雨や風 季節天気を分け隔てなく
そのまま受け容れている自然

自然にある花は時期が来れば芽を出し花を咲かせ枯れていく

その過程で雨風もあり、晴天続きの日もあるかも知れない
しかし花は雨も嫌わず晴れも好まず、自然そのもので生きている

人間に例えると雨風が苦悩
人間だけが不自然で雨風を嫌い晴れた姿だけを好み
分け隔てている 分けるからそこに苦悩が芽生える

自然はありのままに在る

果実も芽を出し雨が恵みで曇りは温もり晴れは命の源
全てを受け容れ実を授かる―


一つの花に仏性を観れるか

そんな話


信じるという言葉の裏

あなたを信じます 誰々を何々を信じます

一見聞こえは良いが「信じるの反対は不信だ」
信じているの裏側には今まで信じてはいなかったという事と
信じることで相手に対し見返りを多少なり含んでいる

「誰々をを信じています」 は信じ込みたいだけだ!
信じると伝えるor信じていると思う事の裏には相手に対しての要求がある

裏切らないで欲しい 私が信じているのだから・・・という自我
「信じるという言葉を言う人間は不信の塊だ(笑)」あなたを既に疑っている
信じるという言葉を使い、あなたをそこに留まらせようとしているだけ騙されてはいけない!

例えばこの逆でも良い あなたが誰かを信じる 彼氏彼女友人etc…
裏切られた時にどう思うかが重要―
「あの人は信じられない」と思うか「何も思わないか」どちらかだ

しかし多数の人間は裏切られたと思うだろう・・・しかしそれはあなたの勝手な思い込み
信じることで縛り付けたいあなたがいるだけ。良く今までの信じるという言葉を観て欲しい

「信じる者は救われる」 「信じる者は馬鹿を観る」この両方だ!!!
コインの裏表 物事には全て裏と表がある 一方のみは存在しない

真実はいつも一つ、それはあなただ





コインの裏表・・・

選挙に行かない人は政治に対し発言してはいけない。発言するなら選挙へ出馬すれば良いという話を聞いた。私は「ならばあなたは会社に他人に対して文句を言ったことが無いのですか?」と伝えた
「文句があるなら起業すれば良いと」

表面ばかりを見ているからこういった発言をする
言うのは簡単で発言の自由もある
しかし根本は同じだ!何に対して発言するのは良いが、あなたは何をしているか気づいていない
政治だろうが会社だろうが人だろうが虫だろうが関係は無い

「誰がどうした」「社長がどうだ」「部下がどうだ」どうでも良い
発言したことで自我を満足させているだけ、あなたの考えを押し付けているだけで他には何も無い
何も残らない。それはあなたではなくあなたの価値観の発言だから―

不足や不満それを解消するために躍起になって行動しているだけだ不足になれば満たす為に何かをし、不満があれば満足するためにあれこれしでかす

なんでもコインの裏表でしかない

自らの人生は自らが歩いて行かなければならない
他人に構っている時間など無い まず自分に全力で耳を傾ける「私は何をしているのだろう」と
それが自らの人生のスタートライン!!!

「誰が何をしようが私の人生に関係は無い」 「私は何を言われようが関係はない」「言いたい人は言えば良い」「どう思われようがどうでも良い」それに対して私は何も言わない―賛成も反対もしないし受容と拒絶もしない

私の発言ではないし、発言をして自我の押し付け合いという討論をしても無駄だと知っているから
しかし、その人が何をしようが関係は無いが気づかせる必要はある。同じ過ちを二度としないように 気づくかどうかは本人次第・・・

あなたが何気なく思っている事でも自分を解っていないと、こういった発言をしたり書き込む。今回は知人だったので直接伝えた

言葉の闇それは、他人の事は何でも見えるのに、自らがしている過ちは何一つ見えていないという闇のようなモノ




在るべき姿にある~一事が万事~

『一事が万事』 身に染みる言葉だ・・・
自堕落なルーズな生活を送っていれば必ず後々困る

それは現実からの逃亡者「今が良ければそれで良い」と生活してきた罰

人間は在るべき姿に在る
夢や理想を追って苦労し大成しないのは、その人のあるべき姿ではない

最期に頼りになるのは社会でも政治家でもなく自分たった独りだ!!!独りで生まれ独りで帰る それまでの時間という名の人生

終りが来るその日まで生きなければならない 自分で命を絶つわけにはいかない
苦しみから逃げなければ様々な事を気づかせてくれる
苦しみの種からあなたの華が咲く

災いが降りかかる度に「私の存在意義は何なのか?生きることはなんなのか?」と問い詰めてきた
しかしそれは表面的な事で、根を絶たなければ枯れないという事

自我過去の記憶―

人間を一本の樹に例えると枝や葉が今までの人生で様々溜め込んだ自我だ
幹という本来のあなたに偽物の葉や枝をくっつけているに過ぎない
いくら枝を落とし葉を切っても問題は次から次へと生えてくる
これでは堂々巡りだ しかし人間がこの様にして生きているのも事実

在るべき姿に在る―理想をいくら描いてもその人の現実が「今だ」この瞬間だけが全てだ!いくら努力しても成功しないのであればその人の在るべき姿でもない

現実逃避―過去の記憶へと時間を遡り「どうしたい」と未来へ投影するのは解決ではない

ある人は音楽の才能があるかも知れない
ある人は経営の才能があるかも知れない
ある人はモノづくりの才能があるかも知れない

その人が生まれ落ちた瞬間にその人は完璧だ!
何かが必ず備わって生まれてくる 今が完璧で何者になる必要すらない!!!

それを憧れや希望で他の事をしでかしていれば、いつまで経っても苦悩する

モノに溢れ、生活にも危険がないこの日本という国 それでも苦悩は絶えない
何を更に求める必要がある?憧れ希望夢 そんな未来をみて絶望するよりも
今在るべき姿を直視し 今までしでかしてきた様々な事を振り返り
私は何をしてたんだろう・・・その人生のアホさ加減にきづければ良いだけ

人は在るべき姿に在り、在るべき事が自然と起こる
何かをやろうとすれば自我が登場し、喜怒哀楽に支配されるという事

「今が完璧」 「今が全て」 「今だけが真実」

希望や理想そして憧れ―それらを求める心を全て捨てる

起こらしめる必要も無く今に在る






6.24.2013

悩みや不安を消す方法

悩みや不安は人それぞれだが打ち消す方法がある

今現在の望みや希望という様々な欲望を全て紙に書く事
それがあなたの不安や悩みの原因
「こうなりたい」「あれ欲しい」「こうなって欲しい」など望みを全部書く
それをゴミ箱に捨てれば良い 頭にある事と紙に書いてあることに違いは無い
どちらもただの記録でしかない 捨てれば悩みなど消える

不安が消えれば安心というモノが現れるという事

毎日落ち着いた生活ができる 
それが体験できたときあなたは今までしてきた今現在していることに対しての、あらゆる事のアホらしさに気づけます

希望や夢 望みを見出すのが生命活動のように思っているが
希望の反対は絶望です あらゆる欲望の反対は絶望です
希望が無ければ絶望が無い!理想や夢がなければ絶望が無い

悩みたい人は夢を追いかけ理想を描いてください
もう悩むのはウンザリだ安心したいという人は全ての欲望を捨てること

根を絶たねば樹は枯れない

人間は在るべき姿に在る

人生の生きつく先とは!?~人間の詩~

この人生は何の為にあるのだろうか

ワンコが病におかされ2ヵ月
看病生活が続く
余命を告げられた時は絶望した
それは突然の出来事…………

普段死ぬ事を意識して生きている人は少ない
しかし世の中唯一「死」だけが絶対な事

ワンコを見ていると死は恐ろしくも本人も悲しいモノでは無いことを感じさせられる
突然息が止まり倒れ込む、その後意識が回復し いきなりウンチをした。何事も無かったかのように……

不思議だった
死は本人にとっても悲しいつらい事と思っていだけどそうではないみたいだ

残される私は悲しいのに本人は何も感じてはいないかのようだ……
死は当たり前の事なのに死ぬ事はダメ!悪い事のように扱われる
それは残された側の生への執着でしかないようにすら感じる 

「死んではダメ、永遠に生きて私のそばにいて・・・」あり得ない

確かに悲しみはある。目の前から消える。共に生活してきた時間そして過去。
時間は戻らない。生きた事が残された私たちの記憶に残るだけ

ワンコも私と同じ生命
死を待つ順番が違うだけ!その列からは誰一人逃れる事は出来ない
皆列に並んで順番待ちをしているだけだ

この死を前提として生きてみる
財を築いても持ってはいけないという事実
モノを集めても持ってはいけないという事実
今目の前にある全てのモノを持って行くことは出来ないという事実

世間で有名になり名を残す人は稀だ
私たち一般市民は「ちょっと生活の質を上げる為だけに」労働というモノをしている気がする
「ちょっと他人よりおいしいもの食べる」「ちょっと他人より良いものを買う」「ちょっと他人より良いところに住む」そんな他人を意識した「ちょっと」の為だけに生きる・・・悲しい生き物
それに人生の時間を費やしているだけの生き物・・・悲しすぎる

飯を食うためにやりたくないことを続けるのが生きることなのだろうか?
お金を多く持つことが生きる事なのだろうか?
出世や競争が生きる事なのだろうか?
欲を満たし続ける為に苦労するのが生きる事なのだろうか?

社会の幻想に気づかず集める事に洗脳される人々
それでも人は欲望の為に働きモノを集め続け、無駄な時間を過ごし尽き果てる

そして生まれ変わりそれを繰り返し尽き果てる 永遠に命は欲望を満たす為だけに動き続ける

生きるとは大人になり集め続けた「欲望 自我」という名のガラクタ捨てた先にあるものだと感じる


6.23.2013

職場での苦悩~人間関係~

人はなぜ優位に立ちたがるのだろう
そんなモノは生きる上で役に立ちはしないのに
そんな話を体験から書きました。

狭い範囲で言うと会社での出来事「あの人は出来ない」「要領悪い」「どうこう言われた」など
まあ何でも良い、毎日様々な事が起こる

例を挙げると会社で誰々に何かを言われたとして友人や知人に愚痴る
「あの人は何様」「あの人はなぜそういう事をするの」と
これはあなたがその人と同じ事をしていると言うことに気づいているだろうか?
その人は私に酷い事をした。あなたは傷つく、しかしその事を友人に言う直接ではないが罵倒している事には変わりはない。方法が違うだけで全く同じ事をしている

私という大切な大切な存在を正当化するため、ある人はあなたに言いあなたは別の人に言う
これが普段日常で起こっていること
側面があればもう一方の側面がある

しかし自我という永遠の私に執着しているために気づいてさえいない。
私は絶対ではない!その人も私と思い あの人も私と思っている電車の目の前の人も私と思っている。皆私私私の集まりだ!どっちが良い悪い、正しい正しくないも存在しない

他人が歩いていたとする
あなたが右へ曲がれと思ってその人は右へ曲がるのか?有り得ない
その人の考えだ!右へ曲がれと思い曲がった人は正解で左へ行った人は間違いなはずがない

言う事を聞かないのは当たり前の事で皆私という固定観念で生きている
これを知ると怒れなくなるし穏やかに過ごせる

やるかやらないかは相手次第だという事

そして繰り返すうちにあなたの信頼と懐は深まっていく―

他人は私を映す鏡

見て見ないふり
自分の嫌いなところは盲目だ!
しかし他人の嫌いな所はハッキリと見える
自分のその部分には触れたくない

隠したい覗き込めないし指摘もできない それは恐いからだ!
しかし他人の事は指摘する 指摘できなくても思っている 
それは満足するからだ!

他人は自分を映す鏡
怒りには怒りで返され
笑顔は笑顔で返ってくる

誰もが自分の世界に浸かっている
あの人とは価値観が合わない
あの人とは意見が合うから仲良くする
会社でもそんな感じだろう

例えば会社であなた以外が全て敵になった場合はどうだろう
無視され陰口を叩かれ罵声を浴びせられる。あれほどキツい仕打ちは無い しかしこれは側面にすぎない
もしかしたらあなたは逆の事をするかも知れないし、しているのかも知れない。
しかしそれはコインの裏表でしかない。どちらの立場になるのかは紙一重 
人の心がコロコロ変わるように状況は一瞬で変わる

一方にいれば批判し、もう一方にいれば助けを求める 
どっちの立場でも他人と共にする事には変わりはない
批判も他人と一緒に、助けも他人に求める。どちらも共感してくれる人を探し求めている
私を守るために私の価値観を固持するためだけに

私は両方の立場を経験したが・・・

社会には必ず他人が存在する
誰も居ない山奥に逃げるか現状を受け容れるかどちらかだ!

しかし受け容れるには時間がかかる 精神も参ってしまう
そうなる前に一度あなたという人間を見つめる必要がある。
愚痴を言ってはいないか?価値観の合う人だけを集めて自我を満足させる事に囚われてはいないか 私が上だ誰が下だと自己満足してはいないか見つめる必要がある

不満と満足 一方の側面に置かれている時もう一方の私を冷静に覗いてみてはどうだろう
あなたは無意識に何をしているのかを知った方が良い

意識がハッキリしていれば両方が出来なくなる 出来るわけがない!

盲目のまま居たいのなら居れば良い
それはやがてあなたに返ってくる事だと自覚の上で・・・

6.22.2013

欲に釣られる魚たち~欲望の詩~

頭は最高の営業マンだ
あなたを欲望の罠に誘い込む営業マン

「こんな事をしてはいかがですか」
「こういう趣味はどうでしょう」
「これなら出来そうですね」と言葉巧みに誘ってくる
しかもあなたに都合の良い欲望を提案してくる
あなたは騙され罠にかかる

「もう騙されないぞ」と思いながらも 又別の角度で欲望を提案してくる
「次はこうすれば上手くいくよ」「次はこれなんか良いんじゃない」
自分で創っている詐欺師だwww 

詐欺にに引っかかる人は馬鹿だと言い、自分詐欺に合う人々

釣りもそうだ 何回も釣られ魚を馬鹿にするが人間も同じだ
「楽しみというエサ」
「幸せというエサ」
「お金というエサ」に飛びつく、そして何度も釣られる
人間はキャッチ&リリース!!!
釣られては放され釣られては放され、
それでも「もっと沢山エサを頂戴」と言い始める始末

欲望なんて他に置き換えればこんなモノ 人間なんてこんなモノ

理性という名のブレーキ!?~自虐の詩~

人間にはブレーキがついている「理性」
理性がなければ人は暴走する

私は興味があったことは何でもやる主義だった 私のブレーキペダルは錆びついていたようだ

楽しそうならなんでも良い
全てそんなノリだ そんな感じで生きてきた その分苦労もハンパ無かったが・・・

そのブレーキというモノはなんなのだろうか
他人の存在というのが一番の理由だ
「他人にどう思われるか」 「他人にどう見られているのか」「何か言われるかも」「恥ずかしい」ただの自意識過剰
誰も他人に関心は無いし、見てもいない、死んでも気づかない

しかし人々は実行前からブレーキをかける
頭で様々妄想し結果今のぬるま湯に浸かる
自分で判断したにもかかわらず「退屈だ」と言い始める
刺激が欲しいのに行動は抑える、しかし「楽しいことがない」と言い始める

私はこうしたいけど誰かに言われたから止める そして後悔する

それほど他人というモノに目が奪われている
奪われていることにさえ気づいていないけど・・・

私の近所にはアル中のギャンブラーが多数いる
朝から酒が当たり前の世界 これは一見好きな道を歩いている様にも見えなくもないが
酒に依存しギャンブルに依存しているだけ 当の本人は自由に好きな事をして生きていると勘違いしている。その先に待ち受けているのは廃人、輝きを失った人間だ!
私が以前そうだったから解ることだ

人生一度だけ死ねば全てが幻に変わる
しかし幻に変わるということは今現在も既に幻だという事

この世に楽しいことは何も無い、楽しみが無いから苦しみも無い
しかし「幻想」に気づける人間はやり尽くした人間だけだ

籠の中の鼠~人間の詩~

こんな話を読んだことがある

「野心を抱き、競争心を燃やすことは酒に溺れるのと同じだ
そしてこちらの酒の方が良く効く。社会はこの麻薬にどっぷり浸かっている
何かを追いかけるものがあると、あなたは気分が良い
追いかけるものが何もなくなると、途端にどうしたら良いのかわからなくなる。あなたは直ちに何か新しい没頭できるものを創りだす」

私はこのようにして生きてきた
好きな事をし、イヤなら辞め、辛いことから逃げ出し
その逃げることがやるべき事を創りだすという事だった
新しいものには刺激がある 欲望には興奮がある
やりたいこと、思いついた全てを実行した
しかしそんな一切は幻でしかなかった・・・何もなかった

籠の中のネズミ 車輪をひたすら回り続けるあれだ
籠を社会と捉え、車輪があなたの欲望や価値観だ
ただ走る ただ回る 自分の世界でただ走る そしていつか苦労の末に尽き果てる
狭い頭で時間を飛び越え 未来を創造し自分を奮い立たせる
そんな未来は存在しないにも関わらず、奮い立たせる必要がどこにある
あなたは誰かに「奮い立たせて興奮状態で生きなさい」と言われたのだろうか
あなたは苦悩の最中に「このままではダメだから気分を高騰させる何かをしなさい、何かを見つけなさい」と言われたのだろうか

それが幼少期から刷り込まれた教育で社会だ
「何かにならなければいけない」 「何かをしなければいけない」 「成功者にならなければいけない」
「不安にならないようにモノ金を集めなさい」 「満足するために集め続けなさい」
「集め続けないと充実した人生を送れませんよ」と

成功者を観れば羨み 有名人を観て憧れる。そうして他人に
目を奪われたまま自分自身を解らないまま終わりを告げる

私という人間が存在すれば他人も存在する
他人が存在すれば比較し嫉妬し様々な事を気にかけ他人という意識に振り回される
永遠の私理論という自我が消えなければ苦悩は消えない

根本の根を絶たなければ樹は枯れない

そして人生の歓びは一瞬で消え、苦悩が絶えず終わりを告げる
あの時に、こうすれば良かったな・・・と過去に生き終わりを告げる

何が変わったのだろう・・・

子どもの頃の記憶・・・
あれから何十年一体何が変わったのだろう

学校が職場に変わり
勉強が仕事や競争に変わり
遊びがお金を使うことに変わった

時が経っても変わったのは経験体験による記憶だけ

大人になり仕事で対価を得、モノを手に入れた

しかし一体何が変わったのだろう
記憶量 情報量が増えただけじゃないの?
知らないことを知り、そして欲が出た
知らないことを知り、そして苦悩した

子どもの時は何も知らないから何も無かった

様々な事を余計なことまで身に着けてきたことで
望み 希望 求める心という自我まで身に着けてしまった

一体何が変わったのだろう
何も変わってはいないんじゃないの?
考え方や興味が変わっただけで何も変わってはいなかった

何を得ようが何をしようが自身に起こったことは変わりようがない
何一つ変わったことは無い 周りが環境が変わり私は何も変わってはいない

情報記憶に追随する自我
生命は生きそして死ぬ


6.21.2013

苦悩からの脱出!?~苦悩の不在~

結果のみを追い求めると道を誤る

その結果は人それぞれだが結果は過程の先にあったもの
しかし目標が無ければ結果は無いのかという疑問もある

目標が無くても結果はある今
今この現実この瞬間が結果だ全てだ 今の時間以外存在しない
結果は誰も解らない未来だ
「今を生きる」という漠然とした良い方もあるが
今を生きるって何?と感じる人もいる、今が解らないのに・・・
 
今 この瞬間に私は何を考えてどう行動しているのか ただそれだけ
全てにおいて無意識で生きている人間
何から何まで無意識だ 自分が何をしているかも気づいていない
今あなたはPCを使っているかもしれない
スマホを使っているかもしれない それはなぜか
退屈を感じ無意識に使っている 面白いサイトを見つければそこにあなたはいない
他にモノに目を奪われている

無意識に歩く無意識に食べる無意識に発言する
無意識に感情を露わにする そして無意識に死ぬ

意識をしていたら怒ることはできない 怒っているときは我を忘れている
考えている時でさえ忘れている 妄想に幻想に想像に過去に頭の中はフル回転だ
 しかし思考が時間を超え行ったり来たりしている事すら気づいていない

「どうすれば」「どうなる」「どうなる」と様々な事を見据えて動く心
肉体は空間のみに存在し思考は時間にのみ存在する

リラックスしたいという結果や思いがあればリラックスするために様々な事をしでかす
ヨガでポーズしたり本読んだり旅に出かけたり まあ何でもいい
それがリラックスなのだろうか 帰れば夫婦喧嘩 それは一時的な借り物 
リラックスしたいと誰もが思うのに誰もが
リラックス出来ないのは リラックスするために考え様々な事をするから出来るわけがない

リラックスや安心は結果そこにあっただけで今あるわけではない
結果を求めるあまりに私を見失う 私がいないから道を誤る

ジッとして何もしなければその先にリラックスはある
ジッとしていることに耐えられない人間もいるが、そこで自分の行動的な欲望を垣間見ることが出来る なぜ私は落ち着くことが出来ないのだろうというあなたの中の原因が

安心は不安の不在であって安心があるわけではない
幸福も災いの不在であって幸福があるわけではない
リラックスも苦悩の不在であってリラックスがあるわけではない




独り言~自虐の詩~

独り言を綴る

今尚こうして私という基準がある
他との区別
私はこう思う 私ならこうする
私だったら・・・

いつもこの問いに引っかかる
私は私だが他も私と思っている

私って何?この身体 体験の記憶 自我 まあこんなモノだろ
この身体が私 この身体は只の肉体だ
この体験の記憶 これは私の記憶だ
私の自我って何?自分への執着

身体は空間に存在し思考は時間に対応する
過去現在未来と自由自在だ

私と他は根本的に何が違うのか
外見は肉だから関係ない
体験は記憶・・・記憶に執着している?過去が無ければ未来も無い
創造は不可能だ!

そう考えると過去という過ぎた時間に囚われている?
過ぎた時間を呼び戻し様々な体験で今に当てはめているのか………
人間にこうあるべきという定義は無い誰もが自由なはずだ!
なのに自由を感じない 何かに捕まっている 

自由………束縛 解放 この思考自体が束縛の原因か!!!!!!!!!
私はこう考える私ならこうすると考えてしまっている
解放しようとしていると言うことは
束縛されているという事

今のこの状態に落ち着けず一方に流れようとしていた

糾える縄の如し
物事は一本で繋がっている
束縛も解放もどっちでも同じ事
一方を避けることは不可能だ!

私と他の基準価値観それすら考えていることが無駄な事だったんだ

ある人は言います
街の雑踏に居ながらにして修行僧の様だと

しかし私はその辺の人間です、ただ楽に生き死ぬまでの時間をくつろいで居たいだけ

拒絶の恐怖~自虐の詩~

人間は嫌われたくない受け容れて欲しいという願望がある
受け容れて欲しいから、そう願うから嫌になるし心が傷つく

受容と拒絶 対でしかない 拒絶側が虐め 受容側が虐められる
受け容れて欲しいとう感情があれば拒絶され 拒絶すればいずれは対の立場にも
なりうるという事 淡々とこなせば問題は消える

全て自分が創りだしている欲だということに気づけるかどうか


対人関係が得意で表面だけで接する事が出来る人はそれで上手くいけば良いだけ
しかし苦手な人間もここにいた 

人と人との繋がりはいつから表面的になってしまったのだろう
心と心の繋がりが本当の意味での繋がりだと感じる
今でも言うときは言うけどそれはなんの為でもなくただ伝えているだけ
判断はその人に任せる その失敗にいつか気づき自ら修正すればいいだけの事
それに気づいた時にその人の体験になる

私の人生ではない
冷たく感じるかも知れないが両方体験し見つかった心だ
あくまで気づくのは本人で、気づかないまま死んでも人生
気づいて他の人間に伝えるのも人生 どっちでも良い

私が正しいという基準価値観は存在しない
誰もが自分の世界で生きているのだから






6.20.2013

禍福は糾える縄の如し

禍福は糾える縄の如し
幸も災いも一本の縄のように繋がっているという意味かな

人生良い時もあれば悪い時もあると落ちているときに
言われたりするけど効果がない(経験者は語るw)
悪い時にどん底の時に良い方が見えないし見れない

人は幸や安心満足充実と都合のいい方にいようとする
しかしこれは側面で安心も不安も一本の縄と同じように繋がっていることを理解したほうが良い
人間万事塞翁が馬という類似した言葉もあるけど
この悪い状態が良い方向に向かうし
良い状態が悪い方にも傾く例外なく

満足不満 充実空虚 
満足感を得ていればいずれ不満が来るし
充実していればいつか空虚感に襲われる

充実した幸せな時間は永遠ではない
それに囚われ楽しい時間を少しでも長く過ごしたいという
欲望があるから落ちた時に過去を振り返る

「あの時は楽しかった 良かった」そして現実を無視して
未来を観る もう一度あの時間を・・・・・過去の時間は戻らないのに・・・
現実は今しかないのに受け容れられない

なぜ私はこういう状態になってしまったのかを徹底的に考える
そこに自我がどう作用しどう行動し今の状態になったか

自我は表面を変え様々な事をさせている
しかし根は一緒だ 囚われている何かに目を奪われているという事実
執着が一切なければ 肯定も否定もない

これに気づかないうちは地獄のループ人生堂々巡り
同じ過ちを繰り返し 罠にはまり 解決方法を探しまわる
それを永遠に繰り返す 表面は変わっているから根本を見失う

綱引きに例えれば解りやすいかな!?
必ずどっちかが勝っている

一度その縄を捨ててみる 「私はこのままで良い」と
心の底から今の状態をを受け容れる








6.19.2013

「夢 空想 欲望」 そして未来

空想にふけりながら畑でキュウリを盗んでいる百姓がいた
「このキュウリの袋を持って逃げよう」と彼は考えた

「そしてこいつを売って金に換え、雌鶏を一羽手に入れよう。
雌鶏は卵を生んで、それを抱いて温め、何匹かの雛をかえす。
その雛を大きくなるまで育てたら、そいつを売って雌の子豚を買おう。
そいつを立派な豚に育てて、子種を仕込む。そうすりゃ数匹の子豚を生むから、そいつらを売り飛ばす。豚を売ったら畑付きの家を買うんだ。

畑にキュウリを植えたら誰にも盗まれるものか!しっかり見張り続けるんだ。
腕っぷしの強い見張り番を雇って、時々出かけてゆき『おい、こら!しっかり見張るんだぞ!』と怒鳴ってやるんだ」

その百姓は空想にふけるあまり、我を忘れて声の限り叫んだ。見張り番がその声を聞いて、駆けつけてきた。彼は百姓を捕まえて、さんざん叩きのめした。

人間はそのようにして
夢を見、空想にふけり、欲望を未来に投影しながら暮らしている
という話

繰り返す過ち~自虐の詩~

劣等感の塊
モノを得ることに翻弄された日々
得ることで満たされる心

しかしそれは一時的でしかない
時間と共に自我が忍び寄る……それに従う私
終わりの無い欲望 しかしそれに気づいてさえいなかった人生

「刺激が欲しい」
その刺激が生きている事だと人生だと錯覚した
満たされているか不満なのか
満たすために動く
不満を恐れ動く、動かされる

仕組みに気づいてしまえばあまりにも単純
パッと思考がよぎる
自我が寄り添うそして動く ひたすらこの繰り返し
まるでネズミの様に車輪の中をクルクル走っているかのようだ
そこに終着点は無い


ただ走る ただ回る 何回も何回も

自我は表情を変え次から次へと罠を仕掛ける 表面でやっていることが違っても根は一緒だ
人生堂々巡り そして車輪の中で尽き果てる

出口のない闇の世界

出口のない迷路
一寸先にも光すら見えない
絶望の果て

しかしそこから抜け出したい
そんな状態がずーっと続いた時期
自分でもどうすれば良いのか解らず
解らないけど抜けるためもがき続けた
出口を探す・・・が感情が定まらない
上がり下がりを繰り返すそれも時間ごとに・・・
憂鬱・・・出口の見えない闇

しかしそれは突然起こった!
毎朝リラックスする時間を作り何も考えずボーッとする時間
ふと過去の記憶が蘇る
私はなぜこういう状態に陥り易いのか、悩みは尽きないのか
それは自我だった
その抜け出したいと思う事すら自我だった

理想と現実の狭間にいた
「他人と比較する私」
「他人を見て識別する私」
聞くこと見ること全てにおいて他というモノが関係していた
「どう思われている」
「どう見られている・・・」
「どう考えてしまっている?」

人々に存在を拒絶されている感じすらあった時期もある
私などいなくても良いんじゃないか・・・・

一見否定的な感情だが存在を無くしたとき何かが消えた

光が小さく見えた気がした
私などどうでも良い
誰も見ていないし、存在する価値すらないと 
どうでも良い全てが
生きていようがどうでも良い 私が何をしようがどうでも良い
世間に拒絶されようがどうでも良い

どうでも良い

生きていようが死のうがどうでも良い
朽ち果てた私という要塞!!!
長年溜め込んできた毒
少しでも他を意識した時にどういう行動をしているのか、どういう発言をしているのか徹底的に観た

一寸先も見えず闇の中でもがき苦しみ それでも生きなければならない
その根本である生すら捨てたとき 心は解放された

街の雑踏‐避暑地に行けば誰もがくつろげる
しかし戻ってくれば世間にのまれその落着きは消え失せる
それは借り物でしかない その違い


それまでの長い旅
しかしそれは生まれた頃に持っていた無垢な心
ただそれを忘れていたと言うだけのこと







6.18.2013

心の変化~人間の詩~

年内予定の転勤の話が来た
同じ住まいに2年以上住んだこともなく転々としてきた人生

これだけ全国転々としていればどこに住もうが関係ない
しかし人間関係での心への負担が大きい

ほぼ知らない人たちとのやりとり
慣れてるとはいえ負担はあると思う

新しいところに飛び込むのは私にとってプラスも多い
新たなところへ行き自分がどう感じるか心の動揺や
今現在との変化はあるのかを観る良い機会
「どう感じるか」「どう感じてしまうのか」

心は変化があって当然 川の流れのように流動的だ
その心が変化したときでも流れに逆らわず
その水の流れが止まればいずれ汚れが溜まり濁りはじめる
人間の心も川と同じように流れていなければ濁る

流れに逆らえば問題が出てくる

この世に同じことなど二度とない全ては一度だけ毎瞬変化する世界
そして人間の心

今の心境に固執せず流れていけば良い
その時「私」という存在に執着していなければ川は流れ
執着が少しでもあればいずれ沼のように心は汚れてしまうだろう



6.17.2013

EGOIST・・・私!?て

なぜ講演会行って様々な話聞いても
良い本読んでも身になっていない人が多いのは
順番がおかしい

話を聞く読む→自分フィルターを入れる→あれこれ頭のみで考え→実践しない→身にならない
*自分フィルターは自分の価値と基準 まあ自我だよね

まず実践でしょう
聞く読む→実践→試行錯誤→身になる

なぜ先に自分フィルターを入れてしまうのか?疑問だ
これじゃあいくら話し合いをしても時間の無駄

その人が受容的になった時ここからその人のその人にしかない
モノが生まれるのであって

聞いた時点で何が解る?やってもいないのに何が解るの?

経験で話すのと知識で話すのは重みが違う
伝わり方が違う

勿体ない素直に聞いた方が自分にプラスなのに・・・

素直が一番

「私が私は私の私なら」→それは私じゃないでしょう自我でしょう
何回も書いているけどその私はアナタの価値基準で他何十億の人々もそれぞれ基準があるんだから、それは既に基準ではないし 私でもないし価値すらない 

私というモノを勘違いしている
育った環境も違う、興味も違う、身体も違う、脳も違う
それだけ単純な事

「知識・見識・胆識」
知識を得て、自分で確かめ実践し 自分のモノにする事が大切じゃないかな





幻想と幻滅~地獄のループ~

何々をしたいっていう欲があった
仕事なんてジャンルでしかない
飯が食えれば良いだけの事 それに出世や競争があるから
見失ってしまうけど
死ななければ良い!!!
これ以上は望まない
これ以上も必要ない

これ以下もあったわけで・・・・

何に憧れる必要がある
自分に無いから憧れる


初めはどんな些細な欲でも次第に妄想が膨らみ
大きくなっていく


これに散々悩まされてきた創造妄想幻想→幻滅のループ

今が完全な状態 それ以上でもそれ以下でもなく

初心忘れちゃいかんぜよ(@@)

初心は時間と共に忘れ去り 仕事が作業になってしまう
感謝の心も薄れ 訳わからん未来ばかり気にする

「心が折れたと」目の前の現実から逃げるエゴイスト
心は折れない 自我が崩れるのを怖がっているだけだよ
エゴイストに何を言っても伝わりきらない
話しても全て自分の良いように解釈するから

それでもその人が苦悩から抜け出してもらうために様々伝える
様々なことからその人のポイントとなる事を模索して
伝え続ける

しかし苦悩から抜け出せるのは本人にしかできない
たった一つの事でも初心を忘れればどん底へ落ちる

エゴという硬い分厚い殻を破ってもらうため
自分の小ささに気づいてもらうために伝え続ける長い道のり
私がそんな道を歩いてきたから尚更気になるし・・・

私の願いは携わる人たちが苦悩もなく笑顔で楽に生きて欲しい
ただこれだけ

楽に生きればそれが自然と人の役に立てるという事
役に立ちたいというエゴイストではなく、ただ自然に

まあそんな感じ




人生に立ちはだかる壁の正体って!?

壁にぶつかり苦労する
それが人生で何度もあるから困ったことに・・・・

でもその壁は放り投げられるもの

NO壁LIFE!!!!

だってその壁あるいは悩み問題はアナタが勝手に創ったモノでしょう

誰かに「これはアナタの壁です乗り越えてください」と
言われたわけではないでしょう?
勝手に創ったんでしょう???
相手がいたとしてもアナタの価値基準というエゴがあるから他が悪いと言ったりする
この何十億という人が皆自我があるのにあなただけ確実な意見は存在しない
皆頭がちがうでしょ アナタは何十億分の一の人間なのに 
我が我が私は正しい 私が私が私が・・・
永遠の私理論

だから放り投げたwww

そもそも問題や悩みは誰かに「これアナタの問題ね」と出題されたわけではなく
アナタが勝手に問題を創りだし「ああでもない こうでもない」と罠にはまっているだけの事

可笑しくない!?出題者と回答者が一緒なんだよ?
クイズ番組なら一人二役!!!
その問題を解決するために本を読み あれこれ話を聞いても答えはないし
多少は解決のきっかけにはなるかもしれないが はじめからアナタの頭で考えを創りだし
勝手に罠にひっかかっているだけなんだから答えはアナタ側にあるし
勝手に創造で創ったんだから初めから無いんだよ~
その考え自体過去の記憶とエゴだしね

という話でした 単純なこと


6.16.2013

生きるとは

生きるとは何かをすることではない
生きるとは何かにならなければならないものでもない

生きるとは成功することでもない
生きるとは富を築くことでもない

生きるとは何でもない

偶然にこの時代に生まれ
偶然にそういう環境で育ち
偶然に様々な体験をしただけ

生きることに価値もない
生きることに理由もない

全て起こることは偶然であり成り行きでそんな偶然の体験を
これが私だと執着しているだけ

生きることに価値もなければ何もない
生きることに奮闘する必要もない
退屈だから奮闘させる必要もない

何もなければ何もない
何者でもなければ何者でもない
何者でもなければ比較もない

楽しみがないから苦がない
望みがないから苦がない
未来もないから苦がない
明日もないから不安もない

初めから何もなければ困らない
価値や基準が無ければ困らない

この何もない状態が人々の恐怖で最低な悪夢のような状態が
私にとって最高の状態かもしれない


何もないから何もない ただそれだけ

生きるのはなぜ辛いのか!?


「仕事してもうまくいかない」「なぜ?こんな目に合うんだ?」

楽しいことなどほんの一瞬 夢のように消えていった 
残るは苦悩・・・
「どうすれば私の人生は良くなるのだろう」と常に考えていた
お金を多く得れれば幸せなんじゃないか?
仕事が上手くいけば幸せなんじゃないか?
なぜ思い通りに人生が進まないんだ?どうすれば良いどうすれば・・・と

様々な夢を抱き理想を描くも ただ苦しいだけ現実は
稼いでも稼いでもお金は残らず湯水のように消えてくばかり
無理に1日100円生活を一か月験したこともある
「財布を持たなければお金は減らない」
朝ポケットに100円を入れる・・・惨めだ 
しかしそこまでしなければ 私は変わらない
変えられないともがいた

昼と夜働き常に眠い・・・
なんとかしなければそれしかなかった 
自己啓発本読もうが何も変わらない自分 追っても求めているものは逃げていくばかり
もう完全に見失っていた

「どうすれば良いんだ!!!!!!」頭の中はもうこれだけ
目の前は絶望と暗闇

数か月続け自分がしでかしているアホらしさに気づいた
「こんなんじゃない」
次の仕事も決めずに辞める決意をしていた「何をしたいんだろ」


16歳から何をしてきても満たされない心
生きる自分ってなに?と問い続けた人生 苦悩の連続
これは自我に振り回された結果だ
「幸せになりたい」「安心したい」「充実した生活を送りたい」「楽になりたい」と願った。しかし同時に自分を嫌っていた
追っても追っても全てが逃げていく人生 走っても走ってもゴールが見つからない人生
それでも追うしか走り続けるしか道はないと思っていた

他人との比較 私はという自我 何の為に生きているのかと

何度も同じ過ちを繰りす
「もうウンザリだ・・・」

自我で振り回され「私」に固執し記憶に囚われ今を生きていない私
「前はどうだった」「こういうことをしてきた」「私は○○だ」と記憶に雁字搦めにされ
こんな話を良く耳にする
「私はこういう人間だから」と勝手に思い込んでいるから手におえない
ある人の批判 社会の批判 言うことばかりは一人前

体験が重要だ 知識じゃない 体験での苦しみから生きることが観えてくる気がする
頭で考えても何も見つからない 頭で考えても行動にはならない
情報が簡単に手に入るために私は知っていると勘違いしている人が多すぎる
「知るのと体験は違うでしょう」と言うが行動を恐れる 自分を守るこれも自我だ

たかが自我というモノを守るために「私」という勘違いした固定観念に縛られている
理想や希望を抱きいつか絶望という闇に突き落とされる

生きていれば辛いことは沢山ある 自分を見失うときも沢山ある
しかし悩んで苦しく どん底状態にいるときに一度私というものを観る
なぜ私はこういう考えをしているんだろう 他人に対しなぜこういう事を言ってしまうのだろう
なぜ私は同じ過ちを繰り返してしまうのだろうか・・・と

完全に意識を自分に向けてみる 私の自我がどういうものなのか観察したら良い
自我は私ではない 闇に何度も葬られ自らが犯している過ちに気づいた時 一切の苦悩は消え失せる。辛いのはあなたという価値観に雁字搦めにされているから

あなたは買い物に執着しているかも知れない
あなたは食べることに執着しているのかも知れない
あなたは異性に執着しているのかも知れない

なぜ?


「どん底に落ちたら底を掘れ」







6.15.2013

幸せってなんだろう~人間の詩~


誰もが幸せを願う「幸せになりたい」「幸せって何?」

今ある人と話す機会があった「幸せってなんなんでしょう」と
幸せなど無い!と応えた
幸せは幻だ 不幸が無いからそれが幸せというモノ
一切の楽しみがないこと
楽しみがなければ不幸も幸福もない不安もない
その状態に執着しないからない
楽しい状態への執着
充実への執着
幸福への執着

不安がないときに安心というモノがあるだけ

楽しみや充実やあらゆることを求めればそれは不幸ヘの序章
楽しくない充実していない状態にいるとき人は何かを望む
望むから不満不幸がが訪れる
「もっともっとと求める心」終りの無い欲望
そんな安心できない状態に幸せというモノが近づくわけがない
「幸せだ」と思っているときは不幸を知っていることになる
不幸を知っているから幸せになりたいと思う
楽しくないから充実を求めようと探す
出口のない迷路のようだ・・・

幸せな状態にいれば人は幸せにすがりつく それは不幸になりたくないから
幸せに執着し維持するために、更に幸せを求めるためにあらゆる事を考える
しかしそんな幻は続くはずもなくいずれ不幸が忍び寄ってくる
「あのころは良かった」「あの時は」「あの時間は」「若い時は」など過去に生きはじめる
幸せという幻想を思い描き過去に生きる死人だ 過去は現実に存在しない
過去は記憶だ 今ではない現実じゃない

永遠の幸せも楽しみも安心もあるはずがない
幸せも不幸の対 楽しみも苦しみの対 安心も不安の対
一方に偏ればもう一方にも偏ることもある

「楽しみがなければ生きている価値がない」という人がいる
楽しみがあれば苦しみが必ずある
その苦しみは嫌い楽しみばかりを求める
その苦しみは嫌いずっと永遠の楽しみを求めようとする
あるいは
人生山あり谷あり 山があれば谷があるから面白いという人もいる
しかし谷の時間がなければ生きている事すら辛くなる
谷を受け容れていない状態 谷にいる時でさえ山を観る・・・希望を抱く
その希望は過去の記憶だ 過去からくる未来への創造だ
山を観るから苦悩する そんな山という望みは捨てたほうが良い
「山が無ければ谷もない」
谷がないから不安もない
谷が無いから不幸もない ただの平坦な道だ

人生は必ず対になっている 自分の価値観の一方だけを求めるから人は悩むし不満もある 
「あの人は」「日本は」「社会は」・・・
そんなことはどうでも良い 飯食って眠れれば死なないだろうwww
何を期待しているのか?他人がしでかしていることに首を突っ込むより
まず自分がどう在るか 自分が何者なのかに気づいた方が賢明だ

「何もなければ何もない 何もないから何もない」



 

希望という名の光~自虐の詩~

ん???
気分が優れない・・・モヤモヤしている
普通じゃない 通常時じゃないと感じている
落ちてると気分がモヤモヤする
モヤモヤを嫌っている 原因は自分にある

なぜだ?!落ちていると何が嫌なんだ
モヤモヤを嫌っている心を晴らしたいと望んでいる
スッキリしたいと望んでいる
どこから来ているこの感じは・・・・・・・・・・・・・・
「あああああああああああああああああああ」

充実 空虚 充実感は必要ない・・・が空虚状態も嫌っている
しかしこの感じを嫌っている この状態で居れない
ん?なぜこの状態を嫌がっているんだろう
怖さに近い感触 絶望に近い感じ ため息すらでる・・
一方の充実感を得たいのか?充実感は必要ないが
充実と空虚の間にいたいと思っている自我
あの状態が楽だからそう望んでいる
「この状態で良い」「この状態が良い」んだと受け容れてみる
この恐怖に似た感じの状態で良い 更に落ちても良い
底の底奥深くまで落ちてもいい
視界もなく光もない海底まで落ちる

あっ!!!!!!!!!!!!!
光は一種の希望のようだ 暗闇から光が差し込むと
「ほっ」とする
その光を探すから光を見出そうとするからこの状態になる
絶望の果てまで 光の全くないところまでいく
光を探す必要は初めから無かったんだ
暗闇を嫌っていた 暗闇は何も見えないが落ちつく心地良ささえある 
なんだ?この感じ
 
絶望 光の差し込まない完全な闇に溶け込む
落ちるとこまで落とす 一切の光が希望が入る隙もないところまでいく

私は楽になりたい感情で自我で人生を送りたくない 喜怒哀楽で振り回されたくない
あの地獄のような生活はうんざりだ 欲欲欲欲満たしても更に欲欲欲
終りは無い・・死ぬまであの状態は最悪だ ゴールのないマラソンのようだ
途中に給水所があるだけで後は苦しい その給水所の為に走っているような人生
我先に我先にと水を欲しがる人々 他人なんて構いはしない


闇に親しみ闇に溶け込む 闇は恐怖では無かった
闇は全ての希望を経つ光を経つ

私は闇の中で光の届かないところで暮らそう
自我も入り込めない深くまで潜る




6.14.2013

人生ってホント疲れちゃうよね~執着する心~

誰でも大小なり執着していることがあると思う

自らのブームが去れば興味を失う まぁここまでは良いけど
更に何かに執着してしまう 何かを探すそれは趣味でもなんでも良い
その執着が消え失せると空虚感が発生してしまう
「退屈 だ」「なんか楽しいことないかな」「暇」
あれこれ探す
心を埋め合わせるために

私は依存 執着する心がハンパなかった
趣味「これ楽しい思ったら最後」頭の中はそればかりになり
生活もそれをやるためだけに変える
仕事もそれに合わせ辞める 転職する
異常だよなwww

まあ何でもいいんだけど
この執着の強さが私が路頭に迷った原因だ
「心のよりどころ」満足しているかどうか ただそれだけ

執着するものがあれば充実し
無ければ「退屈だ」「暇だ」と探し求める
スマホをいじるでも良い自我は何でもいい
スマホを何気なく皆触っているがあれも依存
信号待ち 電車 ランチ中まあ何でもいい
何気なく触っているのはその時間に耐えられないという小さな執着
耐えられない「今に」この瞬間に耐えられない自我
何かをしていなければ耐えられない 時間の埋め合わせ
友達がいれば話す しかし一人の時はどうかな?
何気なく理由もなく触っている時間が必ずある

それも無意識に無意識だ

時間はただ流れ  日はのぼり沈む 花は咲きそして散る
何気なくすごしている一日
仕事で頭がいっぱいかもしれない
育児で大変かもしれない
ほんと人生って悩んじゃうことが多いね 
自然に生えている花は春になれば自然と花が咲く
人間だけがなんて不自然なんだろう 自然のように「何もなく生きれないのだろう」
他人を気にし 評価を気にし あれこれ気にし疲れちゃうね
見えない明日や将来まで勝手に創っちゃうんだから異常だよねwww

めまぐるしく変化する社会
その時代に生まれた私 時代の流れのたった一人の人間
この時代にたまたま生まれただけ たまたまこういう環境があっただけ
生まれた意味など無い「偶然だ」 偶然にそのことを知り偶然に興味を持っただけ
すべて偶然で人生に意味はない

一度スマホを何気なく触っているとき「なぜ触っているのか気づくべきだ」
そんなことどうでも良いかもしれない しかしそれほど人間は無意識に
心の埋め合せをしたり執着したりしているということ
無意識・・・何も解らずしているということ 自分を知らないということ
なぜそういう行動にでるかも知らないだけ
ジッとしていられない 今すら生きれないんだから 

怒りの感情~自虐の詩~

とにかくジッとしていられない人間だった
出かけないと外へ出ないと息がつまり壊れそうな感覚
行動的だった

それだけ刺激を求めていたということ

あのくつろぎの空間にいて落ち着きを誤魔化す
落ち着いているフリだ

小さい衝動だけどそういった欲があった

ある日カフェで順番待ちをしているときに、レジでちんたらしている人がいた時があった
行列できているのに「早くしろよ」とイライラした
「私は早くコーヒーをのみ座りたいんだっ」と・・・
ん?自分に変な感じが出た「この怒りの感情って何?」
ちんたらしているその人が悪いように感じていたが
怒りの感情を創っているのは私だ
勝手にその人の遅さに反応しイライラの感情を芽生えさせた
私が早く「座りたいが為に」怒っていた
この時は怒りだったが全ての感情は自分が創っているということに気づいた

感情を創る対象の人はいるが そこに自我があるから反応する
この時は「私が早くコーヒーをのみ座りたい」
こんな小さなこと早く座りたいからちんたらしている人にイライラしたんだ・・

話を聞くことがあるがなんでも対象のせいにするんだよね
「あの人はああ」「あの人はこう」だと愚痴を言う
「私は違うんだぞと私は解っているんだぞ」とすら聞こえる

私はこういう性格だからこういうの無理
私はこうしたんだけどあの人はしないんだよね
私はこう思うんだけどあの人はこう言うんだよね どう思う?と
他人の同意を得ようとする
同意を得れれば自己が満足するからだ!!!それに気づいていない

昨日も書いたが私私私ばかり・・・私は別に良いけどそれは私じゃなく
自我でしょうと 自我はアナタじゃないと
私私私中心で人間はいるのに絶対的な個人の私はいないでしょうと・・・
その前になんで私は他人に対しこういう感情が芽生えてしまうのだろうか と
自問自答した方が得策だ

愚痴話で盛り上がるのも結構だがそれがどうした?
上司部下がどうだ こうしたら良い なぜこうしないんだろう・・・と
当たり前 頭の中身が違うんだから 同じわけがない

その発言も自我を満たす発言なのかどうなのかを自分で観る必要がある
発言や自我には必ず原因がある

街中に溢れている他人の話
電車でもカフェでも信号待ちですら他人他人我が我が
なんという世の中なんだろうwww

まず他人なんてどうでも良い、自分が何者なのか 根深い自我を見つけるのが先
友人知人に話を共感してもらい満足する それがどうした?
自分の思い通りには誰一人動きません
自分の事でさえどうしたら良いかわからないのに
他人をどうこう出来るわけがない

まず自分の感情がなぜ芽生えるのか
どうして私はこう考えこういう行動をしてしまうのかを気づいた方が良い

それはその人の為でもない 自我を満たす為でもない

ただ自分を見つけてもらいたい

自分というモノが見つかれば自然と人に優しくなれる
心が磨かれえる
幼い頃の何も知らなかった汚れの無い心
これは自分で見つけることしかできない

本を読もうが講演会で話を聞こうが見つけることはできない
読む聞くことにさえ自我があるから
話を聞いている最中に自分の体験と照らし合わせたり
私はこう思うなど必ず余計な考えが混じる

自分を見つめる ひたすら見つめる 嫌でも見つめる 
自分が壊れそうになっても見つめる

ただこれだけ




6.13.2013

もっともっとと求める心

不安や悩みは人それぞれ いやだね悩むって・・・

まあ理由はそれぞれなんだけど、それに大した差はないという事実
ある人は老後
ある人は生活
ある人は金銭
ある人は異性
ある人は仕事人間関係ジャンルは問わず不満不安はあるが

不安や悩みってどこから来るんだろう
それは・・・・・・・現状の自分から発信中!!!
言いかえると自分の理想や望み期待から
発信しているということ

例えばあの人は○○でうらやましいと思う
きっと○○なんだろうなあと創造する
それは自分の現状と「比較」する心理から発生させ
自分が真逆の立場にいるから憧れや望む

じゃあどううすれば不安や悩みは消えるのか?
それは「何も望まないこと」異性とのケンカも相手に要求があるからするわけで
「私はこんなにしてあげてるのに・・・・」と
しかしそれはあなたが勝手に理想を抱き見返りを求め要求するからそうなる
「○○の為」「○○の為」だからと言い価値観を理想を
押し付ける人がなんでこんなに多いのか?それはあなたの自我の為でしょう

価値観は人それぞれ違う
それを相手に求めたり、世間や社会に求め
「自分に照らし合せて考えるから不満がでる」

皆頭の中身は違うんだし

「もっと美味しいもの食べたい」
「もっといい部屋に住みたい」と「もっともっとと求める心」

理想を勝手に創りだし自分で罠にはまりああでもないこうでもない
と言っているだけ
様々な情報も簡単に手に入り自分と照らし合わせる時点で不満がでる
比べるから不安になる

幸福とは不幸が無い状態にすぎない
満足とは不満が無い状態にすぎない
一方の幸福や満足ばかりを求めるからおかしくなる

他人と「比べず私はこれで充分です」と受け容れた瞬間から
人生に不満も不安も消え失せる
他人と競争して何がある?勝利の満足?敗北の不満?
他人と比較して何がある?優越感 劣等感 妬み 憧れ・・・

結局何の悩み問題でも自我や価値観が満たされるか満たされないか
ただそれだけで大した差はない

「全て自分が原因」
複雑に見えて根本はこんなものでしょう

過去と依存~自虐の詩~

人との別れはさみしいね 従業員が辞める

私も転職を繰り返し様々な人間と接触してきた
今はただこの法人にいるってだけで心を伝える?
いや気づいてもらうためにいるのかもしれない

「楽に生きて欲しい」「自分は何者なのかと気づいてもらうために」

○○があっての自分○○が消えるのを恐れる
心が揺らぐときもある
なんなんだろ?あの感じは嫌な気分や違和感・・・

違和感は通常の状態じゃないから感じること
じゃあ通常ってなに?今の状態に変化が訪れる
これは当たり前 しかし今に固執しているから変化を嫌う
季節も自然も花も動物も毎日毎瞬変化しているのになぜ嫌うのか
私はその変化の一部 いや一部ですらないのかもしれない・・・

「どうでも良いとは違うかな・・・」

変化は当然のように起きる同じことは二度とないのに
なぜこういう感情が起きるんだろう?
1人の人間がいなくなるから  違う!
所属が変わるだけで何も変わらない
なぜこういう状態になる 軽い依存、執着?
今尚こうして他に意識が残っているということ
影響されるとはそういうこと 完全に自分を観る 受容と拒絶

他が消えることで自分の何が変わる?何も変わりようがない
ちょっと気持ちが変化するだけ
ここで何を学ぶか
自分の感情の変化をどうみるか

周りが変わっただけでそれに流されているだけ
周りが毎瞬変化しているだけ
私は変わりようがない変われるはずがない
唯一変わるのは気持ちくらいだろう気持ちなんてコロコロ変わるもの
それにいちいち反応していたら身がもたない・・・

私は生まれてから何が変化したのだろう
知識を身につけ、欲をまとい様々な体験をしてきただけ
それも表面的な事 何々をしている私 何々に基準があり私を
置き去りにしていた私
私は歳はとったが根柢の部分は変わるはずもない
生まれて成長し老いていく 自然の流れに乗っているだけ

依存するから衝撃も大きい 
生きていることに執着するから苦悩が大きい
自我に執着するから苦悩がある
私の何に執着をしているのだろう

長年見てきた身体 体験したという記憶という名の過去
記憶に過去に雁字搦めだ・・・・・・・・
私という存在は過去の記憶でしか生きていない
過去を今に投影し生きてるにすぎない
過去ってなに?過ぎた時間 その時間を取り戻すことは
不可能なのにあの頃はあの時はと振り返り今が死ぬ
死んでいるにすぎない 今を生きていないなら

過去の記憶で形成されている私
脳の機能で生きていただけ
さっきの記憶 昨日の記憶 一年前の記憶 何十年前の記憶
何十年前の記憶という脳の機能で動かされ従っている私
私は過去の記憶に執着し、良い悪い好き嫌い正や不正など
様々な事を判別して生きてるにすぎない
木に例えれば昨日の風は良かったとかこの間は枝を伐られ大変だったとか
今日は良い天気だと過去の雨の事を気にして生きている
過ぎたことを記憶しそのイメージで形成し固執してきた私

記憶という脳の機能の一部に雁字搦めにされ生というモノを
完全に見失っていたということ


最近の出来事で様々な考えが浮かんだ時の話を載せた

~人間の詩~生きる

生きるってなんなんだろう

生きることに必死になり幸福を追い求め
これでもない、これも違うと自分を探すために
彷徨いつづけた何十年という歳月

一瞬の幸福はあったかもしれないが苦悩の方が多かった気がする

モノを手に入れることに翻弄され
お金を手に入れることに悩まされ
それでもそれが手に入れば幸せを掴めると信じて・・・


そんな人生に疲れ果てふと自分を見つめてみた
「なぜ幸せを求めるのだろう」
「なぜこんな感情がうまれるのか」

問うことにさえ苦悩があり迷いに迷った日々

「幸福は世間やモノにあると思っていたけれど
それは最初から自分の中にあったということ」

求めることに疲れたとき「一度」自分という存在を見つめてみる
もう迷うのはウンザリだ「幸も不幸もいらない」

私は私を静かに歩く






私って・・・~人間の詩~

人が社会というモノを創り
社会があって人がいるわけではない

「社会があって私がいる」のだと思っていた
社会は必要だが人が創っているのだという考えは
完全に見失っていた

例えばそれが社会という大きなものではなく
1つの会社として見てみると
「人が会社を創っている」これをどれだけの人が意識
しているだろう?

当たり前のようで勘違いしそうな部分
わたしは社会の歯車にはならない!と自由奔放に生きてきたつもりだったが
自由だと勘違いしていたにすぎなかった
金がなければ死ぬ 金金金
だから仕事をする 社会に受け入れてもらわないと死ぬと錯覚した

ある時期から自由は捨て会社人間として働いてみた
刺激はそこそこあるがつまらないとさえ思った
しかし金がなければと自分を殺し働いたけど長くは続かなかった
刺激を求めまたあれこれやらかし、他人に迷惑もかけもうウンザリだった

「なぜこんな上手くいかないの?」と自己嫌悪に陥り
「無気力」「不安定な心」
刺激あるものを見つければ又自分を取り戻せるとさえ思う時期もあった

しかし現実はただただ苦しい
自我が飢えている
「やらなければ」「頑張んないと」と無理にモチベーションをあげては
一瞬で落ちるの繰り返し
もう心はボロボロ・・・・泣きそうで苦しく悔しく「もう生きているのもイヤだ」と・・・

そんな時本を様々読んでみた当然買う余裕もなく借りたり立ち読みを
毎日していた 自己啓発、思想を中心に
「一瞬の興奮はあるが長くはもたない」
また次、次と読み漁り何かヒントがあるんじゃないか?
きっかけがあるんじゃないかと・・・・頼るしかなかった・・・
なんとかしないと・・・

しかし答えを外に求めても見つからなかった・・・
ヒントはあるが自分ではない気がして虚しかった

それからひたすら自分というモノを過去を見つめ続けた
なぜ色々な感情が沸き起こるのだろうか
怒り歓び緊張などなぜ起きるのだろうかと自問自答をひたすら繰り返す
ある日・・他人の目を気にしすぎ偽りの自分を創っていたことが見えた
良く思われたい 良く見られたい 嫌われたくないなど自分の目は
他人に奪われていた それは幼少期のトラウマだった

他を気にする自分って・・・・なにそれ?
こう思われているだろうからこうする
こう見られているだろうなと自己嫌悪に落ちたり
比較比較の連続 あの人は自分より上だ下だと勝手に識別している
愚かな自分・・・
それに何の意味があったんだろうか

しかしそうしていないと自分が無くなるような気がして自我に
すがるしかなかったのも事実だし・・・
何かが無ければ自分じゃないという固定観念に囚われていた

「自由に生きてるね」「うらやましい」と言われていた時期もあったが
自由ほど大変なことはなかった
全て自己責任 これが又疲れる・・・・今は良いけど あのころの自分だったから
もう最悪・・・

人は何かに依存して生きているのは事実
それがなんであろうと大差はない
しかし自我というモノを基準にして生きているというのも事実
「自我が私だと」自我は私ではない 私は私 自我はその辺に溢れている

私は私が私だけ私を私しか・・・「世界は私だらけ」それでも私は・・・どうでも良い
皆自分の世界で生きているんだから私という自我は私だけじゃないと気づいたし

常に自分を観察していたら何もしなくても良くなった
したくもなくなった
何かをすれば必ず欲望が芽生え自我が出てくる「待ってましたと」
それにくっつけばもう落ちるしかない・・・・あの悲惨な頃に
迷いに迷っている人生に

こうして外を見れば社会というモノがあるし
私もその中にいる
社会が無ければ飯も食えないし 迷っている人々が多すぎるのも困ったね・・・

誰もが幸福になりたい 誰もが良くなりたい
もっと上をもっと上を目指しどんどん走る止まったら終わりかのように
その幻想が社会で目指すことが良い競争競争死ぬまで競争
目標を持つのが良い 未来を見なければならないとなってしまったから
苦しかった置き去りにされないように走った
ゴールなど無いのに走った・・・競争の先には競争しかないのに
ゴールがあるかのように走り続ける ゴールが何かも解らず走っていたね

一旦走るのを止めて自分を観るのも良いかもね 私はなんなのか生きるってなんだろう と
目標がなくてもこうして不安なく日々すごせればそれでいい
結局安心するために働き対価を得て「安心するために」求め走ってきたんだから

まるで死人~自虐の詩~

「生きる」誰もが生きていると思っている
生きていると思っているだけで死人のようだ
自分を知らないんだから

生きがいってなんだろう?と自問自答・・・・
生きがいなんてない

身体は内臓機能し生きてしまっている
勝手に機能は止まらない
仕事が生きがい、趣味が生きがい、旅が生きがいetc…
人それぞれだけど

それっておかしくない?
仕事がなければ生きていないのか
趣味や旅行がなければ生きていられないのか
何かがなければ死ぬのか 生きていないのか


なにか充実感や満足感をいかに満たすか
それに翻弄される人間
空虚感味わえば「なんとかしなければならない」
と一方に流れる 空虚を嫌う
楽しい方 充実している方に自分が考える良い方向にいたいという欲求
ここにも「自我」がある

仕事を楽しむ趣味を楽しむこれは生きがいではない
生きがいにしてしまったら無くなった時に頼る自己が消えてしまう
生きることそして自分という人間を見失ってしまう
見つけるために又何かをしでかす

本来は何かをしているから自分ではなく
自分がありそこに何かがあったというだけの事

私は●●だ 私は●●だとそのものにすがっているにすぎない
例えば愛はいずれ消える
あの心はどこに行ったんだろう?
あんなに好きだったのに・・・
別れればそんな魔法も消え異性は他人になる
出会う以前と変わらない むしろ嫌いになるw

自我は何かに捕まっていればそれで満足
趣味思想仕事なんでも良い 満たされればそれで良いんだから

かつて私も様々な趣味遊び仕事を経験した
自我を満たすためだけに行動的になっていた
ある時はバイクやサーフィン・CLUBで踊りまくり・毎晩酒を呑み
ある時は仕事に没頭し
ある時は女 と遊び 自分というモノがなんなのか?自分を探す為
仕事も20数種類経験し それでも自分は見つからなかった
「自分ってなに????」自己嫌悪 憂鬱状態・・・・・・と
絶望のもとにいる時ふと気がづいた
ほぼ絶望だらけの人生だったけど(参照)
表面が変わっただけで自我を満たすというところに
変わりはないんだと
その時得ている充実感はいつか必ず消え失せる
表面を変え違うこをとしているように見えるが根本は同じだ
やることが変わっただけ

満たされなければ満たす為に何かをするし
何かを考えるし
そして人生は堂々巡り 自我を満たす為だけに生きるしかなくなる
なんでも良いんだよね満足すれば・・・

なぜ?こんなにうまくいかないのだろう?
なぜ?私だけこんな目に合うのだろう?と落ちた時に
考える
なぜ私は落ち込んでいるのだろう・・・・と
そうすると様々な人格を変える時期が幼少期からあったり
仮面をかぶり他人に良い顔したり
何枚も人格という衣を羽織
様々な仮面で表情を変える・・・それも心とは裏腹に
本当の自分に逆らい偽っていることに気づけると思う
そこの閉じてる心の蓋を開けて覗き込めるかどうか
隠している心の蓋を
必ず原因がある

蓋があるから覗き込まないから隠すから苦しい だから落ち込む
生きているということを見失ってしまう
表面に囚われてしまうから心の自由を奪ってしまっている

「人生」って本当の自分というモノに出会うためにあるような気がする
彷徨い歩き 自分にたどり着く というよりは家に帰ってくる感じか
何をしでかそうがどんな大金得ようがどうでも良い
死んだら全てが無くなる 無くなる恐怖があるから何でも溜め続けるし
増やそう増やそうと詐欺にあう
落ち着く暇もない 何かをしなければそれを守ることができないから


私自身楽しいことは何もないし
楽しみがないから落ち込まない
楽しみがないから不幸もないが絶望も失望も空虚感もない
不安が無いから安心がある

幸せを安心を
「追い求め追い求め」て「走って走って」「考えて考えて」もそこの先には何も無い
何を得ようが先には何もない
何をしようが先には何もない
あるとすれば絶望

「生きる」私という道 私が道 世間のモノでも金でも仕事でも
それは私の道ではない道と共に歩いている
だから将来もない
希望もない
なんの望みもない

だから不幸もない楽しくもない

ただ落ち着き過ごす ただ落ち着き私を歩く

不幸が無いから幸福がそばに在る
不安が無いから安心がそばに在る


6.12.2013

~ワンコの詩~

愛犬ぶぅちゃんの死が迫っている・・・
切ない切ない
いつかはサヨナラだけど・・・

もう少し一緒にいたい
しかしこれは自然な事なんだと自分に言い聞かせても
言い聞かせても受け容れられない

あああああああああああああああああ
ああああああああああああああああ

退屈って!?~人間の詩~

ぶぅちゃんいなくなったら どういう感情で生活するんだろ?
13年という歳月
色々あったな~(@_@)
今こうして落ち着き過ごしているが、ぶぅが居なくなったら完全な孤独だ!
以前の様に何かにすがるのだろうか?
すがるのは何でも良い
自我は満足感得ればする事なんてなんでも良いんだよな~(@_@)
又、あれこれ とらわれるのかな~?
まぁそれは無いか( ´艸`)
もうウンザリ!あんな過去

でも、そんな過去の経験があるから今こうして居られるのも事実
看病あるとはいえ ずーっと家に居る事なんて無かったと言うか出来なかった(・д・)
買い物や様々とにかく外出していないと落ち着かない日々
ソワソワその時間を持て余してるかのように・・・
1ヶ月以上こうして家にいるが退屈を感じた事はない
不思議だ!
あれほど落ち着かなかった人間が行動的な人間が真逆に成った
行動的を体験したからこそ
このゆったりの時間を知る事が出来たし、初めからゆったりしている人間は行動的になれないのも事実
双方体験したからこそ良さ悪さを知ることができたしヽ(^。^)丿
ゆったりも出来行動的にも成れる
ちょうど中間でバランス取れて良いかもね!
程々とは行き過ぎた事を知ったから程々が良いと知るわけで
初めから程々ならばそれはただの手抜き以外何でもない(>_<)ゞ

酒も飲みすぎれば程々が良いと気づき食べすぎもそうだし遊びもそう、なんでも突っ込んでまずはやる!突っ込むことで本質を見抜き
自分の身に成る

その体験から程々という加減を初めて知るのだと思う

知識は体験には適わない!
ネットで何でも仕入れる事が出来るがそれは知っているだけで経験ではない(@_@)
所詮上辺をすくってるにすぎない
しかし体験した事に固持してもダメ(゚o゚;体験は既に過去でしかない
その体験を身にし、今の自分を見つめることが出来るかどうか
ただそれだけ

あの頃は良かった
あの頃に戻りたいと言う声を何度聞いたかなあ
私は戻りたくない!!!!!!!!!→クリック
イヤだあんな過去も偽りの存在も

戻りたいという感情はその時期に何も知らず刺激的だっただけで
今仮に戻っても楽しいわけがない(-_-)zzz
そこで今を見ると・・・楽しく生きていないと言うだけのこと
今なぜ楽しくないのか???
その原因は必ず自分にある
未来を創造しても現実は今
この瞬間だけ
退屈楽しくないなど無気力になった時自分の原因を探せば
時間を持て余す事なんて消え失せる!!!!!!!!!
今この瞬間しか無いんだから時間は

たった一度であっという間の時間と人生
自分の道を自分自信を生きるという意味に気づけるかどうか
私はそのために生きてるのかも知れない

くつろぎの時間

「リラックスして生きれば」優しくなれる
「リラックスして生きれば」笑顔になれる
「リラックスして生きれば」幸せは必要ない

心に余裕がないとね~!

活動を通じ本質を伝える活動は表面的な作業で
本質は自分の素直な心に気づいてもらう
心を磨くということ

活動を通じ様々なことが起きる
その都度人々の事を考え、そして自分を見つめる

リラックスのもとに生きて欲しい
苦悩など無い世界で生きて欲しい
ラクに生きてるからこそ人に手を差し伸べられるのではないか!?

自ら感じて欲しい
目の前の表面的なことに惑わされず、本質に気づいてほしい
自分が誰なのか 生きることとはなんなのか
なぜ悩みがあるのか?なぜうまくいかないのか?

それは自らの体験からくるもの
知識ではない他人の言葉でもない体験からくるもの
徹底的に自分を見つめてみる 

時間は永遠ではない


華は咲くのか~人間の詩~

~お笑いを観てて感じたことをここに綴る~

『あの人は偉い』
社会的地位があるから肩書きが一種の目安になる

偉い?って何?
そもそも人間は人間以外何者でもない

犬は犬 魚は魚 虫は虫まあそれぞれ種類はあるけど
「あの犬は偉い」「あの虫は凄い」なんてないよね?!
なぜ人間だけが偉いや地位があるの?
偉いから肩書きに礼をする
役職に対し礼をする その人がどんな人間でも
とりあえず礼をするwww
それで裏では「どうのこうの」愚痴る・・・
ただその能力に優れているかどうかの違い

ある人は経営に優れているかもしれない
ある人は笑わせることに優れているかもしれない
ある人はコミュニケーションに優れ
ある人は歌に優れているかもしれない

だからといって能力がある=偉い価値があるわけではない
上に立ちたいと比較する

優れているのは自然の流れで自然と役割を持つ

あれこれしたいと欲望をもち
ああなりたいと憧れそして望む
しかしそのギャップに苦しむ人間という生き物
欲や希望があるが故に

憧れを持ちその才能が最初からなければ華は咲かない
自分という種はなんなのか?
社会に浸り開花せず終りを迎えるのも人生
あれこれと探究するのも人生

良い悪いはないがその仕事が自分の種ならば
いずれ芽をだし華が咲く

心に無理をする時点でそれは種ではない
自我だ!
心というモノに負担をかけず自分に無理をせず自然体で生き
今の自分が現実でそれ以外何者でもない そして平等だ
金があるから偉くもない 地位があるから偉くもない
同じ人間 食って寝て死ぬ ただそれだけ

今が全てだ 完璧だ!
今に不満があるならそれは
憧れや希望という自我があるということ

自分を見つけるか見つかるかは自分次第