6.14.2013

怒りの感情~自虐の詩~

とにかくジッとしていられない人間だった
出かけないと外へ出ないと息がつまり壊れそうな感覚
行動的だった

それだけ刺激を求めていたということ

あのくつろぎの空間にいて落ち着きを誤魔化す
落ち着いているフリだ

小さい衝動だけどそういった欲があった

ある日カフェで順番待ちをしているときに、レジでちんたらしている人がいた時があった
行列できているのに「早くしろよ」とイライラした
「私は早くコーヒーをのみ座りたいんだっ」と・・・
ん?自分に変な感じが出た「この怒りの感情って何?」
ちんたらしているその人が悪いように感じていたが
怒りの感情を創っているのは私だ
勝手にその人の遅さに反応しイライラの感情を芽生えさせた
私が早く「座りたいが為に」怒っていた
この時は怒りだったが全ての感情は自分が創っているということに気づいた

感情を創る対象の人はいるが そこに自我があるから反応する
この時は「私が早くコーヒーをのみ座りたい」
こんな小さなこと早く座りたいからちんたらしている人にイライラしたんだ・・

話を聞くことがあるがなんでも対象のせいにするんだよね
「あの人はああ」「あの人はこう」だと愚痴を言う
「私は違うんだぞと私は解っているんだぞ」とすら聞こえる

私はこういう性格だからこういうの無理
私はこうしたんだけどあの人はしないんだよね
私はこう思うんだけどあの人はこう言うんだよね どう思う?と
他人の同意を得ようとする
同意を得れれば自己が満足するからだ!!!それに気づいていない

昨日も書いたが私私私ばかり・・・私は別に良いけどそれは私じゃなく
自我でしょうと 自我はアナタじゃないと
私私私中心で人間はいるのに絶対的な個人の私はいないでしょうと・・・
その前になんで私は他人に対しこういう感情が芽生えてしまうのだろうか と
自問自答した方が得策だ

愚痴話で盛り上がるのも結構だがそれがどうした?
上司部下がどうだ こうしたら良い なぜこうしないんだろう・・・と
当たり前 頭の中身が違うんだから 同じわけがない

その発言も自我を満たす発言なのかどうなのかを自分で観る必要がある
発言や自我には必ず原因がある

街中に溢れている他人の話
電車でもカフェでも信号待ちですら他人他人我が我が
なんという世の中なんだろうwww

まず他人なんてどうでも良い、自分が何者なのか 根深い自我を見つけるのが先
友人知人に話を共感してもらい満足する それがどうした?
自分の思い通りには誰一人動きません
自分の事でさえどうしたら良いかわからないのに
他人をどうこう出来るわけがない

まず自分の感情がなぜ芽生えるのか
どうして私はこう考えこういう行動をしてしまうのかを気づいた方が良い

それはその人の為でもない 自我を満たす為でもない

ただ自分を見つけてもらいたい

自分というモノが見つかれば自然と人に優しくなれる
心が磨かれえる
幼い頃の何も知らなかった汚れの無い心
これは自分で見つけることしかできない

本を読もうが講演会で話を聞こうが見つけることはできない
読む聞くことにさえ自我があるから
話を聞いている最中に自分の体験と照らし合わせたり
私はこう思うなど必ず余計な考えが混じる

自分を見つめる ひたすら見つめる 嫌でも見つめる 
自分が壊れそうになっても見つめる

ただこれだけ