6.13.2013

私って・・・~人間の詩~

人が社会というモノを創り
社会があって人がいるわけではない

「社会があって私がいる」のだと思っていた
社会は必要だが人が創っているのだという考えは
完全に見失っていた

例えばそれが社会という大きなものではなく
1つの会社として見てみると
「人が会社を創っている」これをどれだけの人が意識
しているだろう?

当たり前のようで勘違いしそうな部分
わたしは社会の歯車にはならない!と自由奔放に生きてきたつもりだったが
自由だと勘違いしていたにすぎなかった
金がなければ死ぬ 金金金
だから仕事をする 社会に受け入れてもらわないと死ぬと錯覚した

ある時期から自由は捨て会社人間として働いてみた
刺激はそこそこあるがつまらないとさえ思った
しかし金がなければと自分を殺し働いたけど長くは続かなかった
刺激を求めまたあれこれやらかし、他人に迷惑もかけもうウンザリだった

「なぜこんな上手くいかないの?」と自己嫌悪に陥り
「無気力」「不安定な心」
刺激あるものを見つければ又自分を取り戻せるとさえ思う時期もあった

しかし現実はただただ苦しい
自我が飢えている
「やらなければ」「頑張んないと」と無理にモチベーションをあげては
一瞬で落ちるの繰り返し
もう心はボロボロ・・・・泣きそうで苦しく悔しく「もう生きているのもイヤだ」と・・・

そんな時本を様々読んでみた当然買う余裕もなく借りたり立ち読みを
毎日していた 自己啓発、思想を中心に
「一瞬の興奮はあるが長くはもたない」
また次、次と読み漁り何かヒントがあるんじゃないか?
きっかけがあるんじゃないかと・・・・頼るしかなかった・・・
なんとかしないと・・・

しかし答えを外に求めても見つからなかった・・・
ヒントはあるが自分ではない気がして虚しかった

それからひたすら自分というモノを過去を見つめ続けた
なぜ色々な感情が沸き起こるのだろうか
怒り歓び緊張などなぜ起きるのだろうかと自問自答をひたすら繰り返す
ある日・・他人の目を気にしすぎ偽りの自分を創っていたことが見えた
良く思われたい 良く見られたい 嫌われたくないなど自分の目は
他人に奪われていた それは幼少期のトラウマだった

他を気にする自分って・・・・なにそれ?
こう思われているだろうからこうする
こう見られているだろうなと自己嫌悪に落ちたり
比較比較の連続 あの人は自分より上だ下だと勝手に識別している
愚かな自分・・・
それに何の意味があったんだろうか

しかしそうしていないと自分が無くなるような気がして自我に
すがるしかなかったのも事実だし・・・
何かが無ければ自分じゃないという固定観念に囚われていた

「自由に生きてるね」「うらやましい」と言われていた時期もあったが
自由ほど大変なことはなかった
全て自己責任 これが又疲れる・・・・今は良いけど あのころの自分だったから
もう最悪・・・

人は何かに依存して生きているのは事実
それがなんであろうと大差はない
しかし自我というモノを基準にして生きているというのも事実
「自我が私だと」自我は私ではない 私は私 自我はその辺に溢れている

私は私が私だけ私を私しか・・・「世界は私だらけ」それでも私は・・・どうでも良い
皆自分の世界で生きているんだから私という自我は私だけじゃないと気づいたし

常に自分を観察していたら何もしなくても良くなった
したくもなくなった
何かをすれば必ず欲望が芽生え自我が出てくる「待ってましたと」
それにくっつけばもう落ちるしかない・・・・あの悲惨な頃に
迷いに迷っている人生に

こうして外を見れば社会というモノがあるし
私もその中にいる
社会が無ければ飯も食えないし 迷っている人々が多すぎるのも困ったね・・・

誰もが幸福になりたい 誰もが良くなりたい
もっと上をもっと上を目指しどんどん走る止まったら終わりかのように
その幻想が社会で目指すことが良い競争競争死ぬまで競争
目標を持つのが良い 未来を見なければならないとなってしまったから
苦しかった置き去りにされないように走った
ゴールなど無いのに走った・・・競争の先には競争しかないのに
ゴールがあるかのように走り続ける ゴールが何かも解らず走っていたね

一旦走るのを止めて自分を観るのも良いかもね 私はなんなのか生きるってなんだろう と
目標がなくてもこうして不安なく日々すごせればそれでいい
結局安心するために働き対価を得て「安心するために」求め走ってきたんだから

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