6.13.2013

まるで死人~自虐の詩~

「生きる」誰もが生きていると思っている
生きていると思っているだけで死人のようだ
自分を知らないんだから

生きがいってなんだろう?と自問自答・・・・
生きがいなんてない

身体は内臓機能し生きてしまっている
勝手に機能は止まらない
仕事が生きがい、趣味が生きがい、旅が生きがいetc…
人それぞれだけど

それっておかしくない?
仕事がなければ生きていないのか
趣味や旅行がなければ生きていられないのか
何かがなければ死ぬのか 生きていないのか


なにか充実感や満足感をいかに満たすか
それに翻弄される人間
空虚感味わえば「なんとかしなければならない」
と一方に流れる 空虚を嫌う
楽しい方 充実している方に自分が考える良い方向にいたいという欲求
ここにも「自我」がある

仕事を楽しむ趣味を楽しむこれは生きがいではない
生きがいにしてしまったら無くなった時に頼る自己が消えてしまう
生きることそして自分という人間を見失ってしまう
見つけるために又何かをしでかす

本来は何かをしているから自分ではなく
自分がありそこに何かがあったというだけの事

私は●●だ 私は●●だとそのものにすがっているにすぎない
例えば愛はいずれ消える
あの心はどこに行ったんだろう?
あんなに好きだったのに・・・
別れればそんな魔法も消え異性は他人になる
出会う以前と変わらない むしろ嫌いになるw

自我は何かに捕まっていればそれで満足
趣味思想仕事なんでも良い 満たされればそれで良いんだから

かつて私も様々な趣味遊び仕事を経験した
自我を満たすためだけに行動的になっていた
ある時はバイクやサーフィン・CLUBで踊りまくり・毎晩酒を呑み
ある時は仕事に没頭し
ある時は女 と遊び 自分というモノがなんなのか?自分を探す為
仕事も20数種類経験し それでも自分は見つからなかった
「自分ってなに????」自己嫌悪 憂鬱状態・・・・・・と
絶望のもとにいる時ふと気がづいた
ほぼ絶望だらけの人生だったけど(参照)
表面が変わっただけで自我を満たすというところに
変わりはないんだと
その時得ている充実感はいつか必ず消え失せる
表面を変え違うこをとしているように見えるが根本は同じだ
やることが変わっただけ

満たされなければ満たす為に何かをするし
何かを考えるし
そして人生は堂々巡り 自我を満たす為だけに生きるしかなくなる
なんでも良いんだよね満足すれば・・・

なぜ?こんなにうまくいかないのだろう?
なぜ?私だけこんな目に合うのだろう?と落ちた時に
考える
なぜ私は落ち込んでいるのだろう・・・・と
そうすると様々な人格を変える時期が幼少期からあったり
仮面をかぶり他人に良い顔したり
何枚も人格という衣を羽織
様々な仮面で表情を変える・・・それも心とは裏腹に
本当の自分に逆らい偽っていることに気づけると思う
そこの閉じてる心の蓋を開けて覗き込めるかどうか
隠している心の蓋を
必ず原因がある

蓋があるから覗き込まないから隠すから苦しい だから落ち込む
生きているということを見失ってしまう
表面に囚われてしまうから心の自由を奪ってしまっている

「人生」って本当の自分というモノに出会うためにあるような気がする
彷徨い歩き 自分にたどり着く というよりは家に帰ってくる感じか
何をしでかそうがどんな大金得ようがどうでも良い
死んだら全てが無くなる 無くなる恐怖があるから何でも溜め続けるし
増やそう増やそうと詐欺にあう
落ち着く暇もない 何かをしなければそれを守ることができないから


私自身楽しいことは何もないし
楽しみがないから落ち込まない
楽しみがないから不幸もないが絶望も失望も空虚感もない
不安が無いから安心がある

幸せを安心を
「追い求め追い求め」て「走って走って」「考えて考えて」もそこの先には何も無い
何を得ようが先には何もない
何をしようが先には何もない
あるとすれば絶望

「生きる」私という道 私が道 世間のモノでも金でも仕事でも
それは私の道ではない道と共に歩いている
だから将来もない
希望もない
なんの望みもない

だから不幸もない楽しくもない

ただ落ち着き過ごす ただ落ち着き私を歩く

不幸が無いから幸福がそばに在る
不安が無いから安心がそばに在る


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