6.15.2013

幸せってなんだろう~人間の詩~


誰もが幸せを願う「幸せになりたい」「幸せって何?」

今ある人と話す機会があった「幸せってなんなんでしょう」と
幸せなど無い!と応えた
幸せは幻だ 不幸が無いからそれが幸せというモノ
一切の楽しみがないこと
楽しみがなければ不幸も幸福もない不安もない
その状態に執着しないからない
楽しい状態への執着
充実への執着
幸福への執着

不安がないときに安心というモノがあるだけ

楽しみや充実やあらゆることを求めればそれは不幸ヘの序章
楽しくない充実していない状態にいるとき人は何かを望む
望むから不満不幸がが訪れる
「もっともっとと求める心」終りの無い欲望
そんな安心できない状態に幸せというモノが近づくわけがない
「幸せだ」と思っているときは不幸を知っていることになる
不幸を知っているから幸せになりたいと思う
楽しくないから充実を求めようと探す
出口のない迷路のようだ・・・

幸せな状態にいれば人は幸せにすがりつく それは不幸になりたくないから
幸せに執着し維持するために、更に幸せを求めるためにあらゆる事を考える
しかしそんな幻は続くはずもなくいずれ不幸が忍び寄ってくる
「あのころは良かった」「あの時は」「あの時間は」「若い時は」など過去に生きはじめる
幸せという幻想を思い描き過去に生きる死人だ 過去は現実に存在しない
過去は記憶だ 今ではない現実じゃない

永遠の幸せも楽しみも安心もあるはずがない
幸せも不幸の対 楽しみも苦しみの対 安心も不安の対
一方に偏ればもう一方にも偏ることもある

「楽しみがなければ生きている価値がない」という人がいる
楽しみがあれば苦しみが必ずある
その苦しみは嫌い楽しみばかりを求める
その苦しみは嫌いずっと永遠の楽しみを求めようとする
あるいは
人生山あり谷あり 山があれば谷があるから面白いという人もいる
しかし谷の時間がなければ生きている事すら辛くなる
谷を受け容れていない状態 谷にいる時でさえ山を観る・・・希望を抱く
その希望は過去の記憶だ 過去からくる未来への創造だ
山を観るから苦悩する そんな山という望みは捨てたほうが良い
「山が無ければ谷もない」
谷がないから不安もない
谷が無いから不幸もない ただの平坦な道だ

人生は必ず対になっている 自分の価値観の一方だけを求めるから人は悩むし不満もある 
「あの人は」「日本は」「社会は」・・・
そんなことはどうでも良い 飯食って眠れれば死なないだろうwww
何を期待しているのか?他人がしでかしていることに首を突っ込むより
まず自分がどう在るか 自分が何者なのかに気づいた方が賢明だ

「何もなければ何もない 何もないから何もない」



 

希望という名の光~自虐の詩~

ん???
気分が優れない・・・モヤモヤしている
普通じゃない 通常時じゃないと感じている
落ちてると気分がモヤモヤする
モヤモヤを嫌っている 原因は自分にある

なぜだ?!落ちていると何が嫌なんだ
モヤモヤを嫌っている心を晴らしたいと望んでいる
スッキリしたいと望んでいる
どこから来ているこの感じは・・・・・・・・・・・・・・
「あああああああああああああああああああ」

充実 空虚 充実感は必要ない・・・が空虚状態も嫌っている
しかしこの感じを嫌っている この状態で居れない
ん?なぜこの状態を嫌がっているんだろう
怖さに近い感触 絶望に近い感じ ため息すらでる・・
一方の充実感を得たいのか?充実感は必要ないが
充実と空虚の間にいたいと思っている自我
あの状態が楽だからそう望んでいる
「この状態で良い」「この状態が良い」んだと受け容れてみる
この恐怖に似た感じの状態で良い 更に落ちても良い
底の底奥深くまで落ちてもいい
視界もなく光もない海底まで落ちる

あっ!!!!!!!!!!!!!
光は一種の希望のようだ 暗闇から光が差し込むと
「ほっ」とする
その光を探すから光を見出そうとするからこの状態になる
絶望の果てまで 光の全くないところまでいく
光を探す必要は初めから無かったんだ
暗闇を嫌っていた 暗闇は何も見えないが落ちつく心地良ささえある 
なんだ?この感じ
 
絶望 光の差し込まない完全な闇に溶け込む
落ちるとこまで落とす 一切の光が希望が入る隙もないところまでいく

私は楽になりたい感情で自我で人生を送りたくない 喜怒哀楽で振り回されたくない
あの地獄のような生活はうんざりだ 欲欲欲欲満たしても更に欲欲欲
終りは無い・・死ぬまであの状態は最悪だ ゴールのないマラソンのようだ
途中に給水所があるだけで後は苦しい その給水所の為に走っているような人生
我先に我先にと水を欲しがる人々 他人なんて構いはしない


闇に親しみ闇に溶け込む 闇は恐怖では無かった
闇は全ての希望を経つ光を経つ

私は闇の中で光の届かないところで暮らそう
自我も入り込めない深くまで潜る




6.14.2013

人生ってホント疲れちゃうよね~執着する心~

誰でも大小なり執着していることがあると思う

自らのブームが去れば興味を失う まぁここまでは良いけど
更に何かに執着してしまう 何かを探すそれは趣味でもなんでも良い
その執着が消え失せると空虚感が発生してしまう
「退屈 だ」「なんか楽しいことないかな」「暇」
あれこれ探す
心を埋め合わせるために

私は依存 執着する心がハンパなかった
趣味「これ楽しい思ったら最後」頭の中はそればかりになり
生活もそれをやるためだけに変える
仕事もそれに合わせ辞める 転職する
異常だよなwww

まあ何でもいいんだけど
この執着の強さが私が路頭に迷った原因だ
「心のよりどころ」満足しているかどうか ただそれだけ

執着するものがあれば充実し
無ければ「退屈だ」「暇だ」と探し求める
スマホをいじるでも良い自我は何でもいい
スマホを何気なく皆触っているがあれも依存
信号待ち 電車 ランチ中まあ何でもいい
何気なく触っているのはその時間に耐えられないという小さな執着
耐えられない「今に」この瞬間に耐えられない自我
何かをしていなければ耐えられない 時間の埋め合わせ
友達がいれば話す しかし一人の時はどうかな?
何気なく理由もなく触っている時間が必ずある

それも無意識に無意識だ

時間はただ流れ  日はのぼり沈む 花は咲きそして散る
何気なくすごしている一日
仕事で頭がいっぱいかもしれない
育児で大変かもしれない
ほんと人生って悩んじゃうことが多いね 
自然に生えている花は春になれば自然と花が咲く
人間だけがなんて不自然なんだろう 自然のように「何もなく生きれないのだろう」
他人を気にし 評価を気にし あれこれ気にし疲れちゃうね
見えない明日や将来まで勝手に創っちゃうんだから異常だよねwww

めまぐるしく変化する社会
その時代に生まれた私 時代の流れのたった一人の人間
この時代にたまたま生まれただけ たまたまこういう環境があっただけ
生まれた意味など無い「偶然だ」 偶然にそのことを知り偶然に興味を持っただけ
すべて偶然で人生に意味はない

一度スマホを何気なく触っているとき「なぜ触っているのか気づくべきだ」
そんなことどうでも良いかもしれない しかしそれほど人間は無意識に
心の埋め合せをしたり執着したりしているということ
無意識・・・何も解らずしているということ 自分を知らないということ
なぜそういう行動にでるかも知らないだけ
ジッとしていられない 今すら生きれないんだから 

怒りの感情~自虐の詩~

とにかくジッとしていられない人間だった
出かけないと外へ出ないと息がつまり壊れそうな感覚
行動的だった

それだけ刺激を求めていたということ

あのくつろぎの空間にいて落ち着きを誤魔化す
落ち着いているフリだ

小さい衝動だけどそういった欲があった

ある日カフェで順番待ちをしているときに、レジでちんたらしている人がいた時があった
行列できているのに「早くしろよ」とイライラした
「私は早くコーヒーをのみ座りたいんだっ」と・・・
ん?自分に変な感じが出た「この怒りの感情って何?」
ちんたらしているその人が悪いように感じていたが
怒りの感情を創っているのは私だ
勝手にその人の遅さに反応しイライラの感情を芽生えさせた
私が早く「座りたいが為に」怒っていた
この時は怒りだったが全ての感情は自分が創っているということに気づいた

感情を創る対象の人はいるが そこに自我があるから反応する
この時は「私が早くコーヒーをのみ座りたい」
こんな小さなこと早く座りたいからちんたらしている人にイライラしたんだ・・

話を聞くことがあるがなんでも対象のせいにするんだよね
「あの人はああ」「あの人はこう」だと愚痴を言う
「私は違うんだぞと私は解っているんだぞ」とすら聞こえる

私はこういう性格だからこういうの無理
私はこうしたんだけどあの人はしないんだよね
私はこう思うんだけどあの人はこう言うんだよね どう思う?と
他人の同意を得ようとする
同意を得れれば自己が満足するからだ!!!それに気づいていない

昨日も書いたが私私私ばかり・・・私は別に良いけどそれは私じゃなく
自我でしょうと 自我はアナタじゃないと
私私私中心で人間はいるのに絶対的な個人の私はいないでしょうと・・・
その前になんで私は他人に対しこういう感情が芽生えてしまうのだろうか と
自問自答した方が得策だ

愚痴話で盛り上がるのも結構だがそれがどうした?
上司部下がどうだ こうしたら良い なぜこうしないんだろう・・・と
当たり前 頭の中身が違うんだから 同じわけがない

その発言も自我を満たす発言なのかどうなのかを自分で観る必要がある
発言や自我には必ず原因がある

街中に溢れている他人の話
電車でもカフェでも信号待ちですら他人他人我が我が
なんという世の中なんだろうwww

まず他人なんてどうでも良い、自分が何者なのか 根深い自我を見つけるのが先
友人知人に話を共感してもらい満足する それがどうした?
自分の思い通りには誰一人動きません
自分の事でさえどうしたら良いかわからないのに
他人をどうこう出来るわけがない

まず自分の感情がなぜ芽生えるのか
どうして私はこう考えこういう行動をしてしまうのかを気づいた方が良い

それはその人の為でもない 自我を満たす為でもない

ただ自分を見つけてもらいたい

自分というモノが見つかれば自然と人に優しくなれる
心が磨かれえる
幼い頃の何も知らなかった汚れの無い心
これは自分で見つけることしかできない

本を読もうが講演会で話を聞こうが見つけることはできない
読む聞くことにさえ自我があるから
話を聞いている最中に自分の体験と照らし合わせたり
私はこう思うなど必ず余計な考えが混じる

自分を見つめる ひたすら見つめる 嫌でも見つめる 
自分が壊れそうになっても見つめる

ただこれだけ




6.13.2013

もっともっとと求める心

不安や悩みは人それぞれ いやだね悩むって・・・

まあ理由はそれぞれなんだけど、それに大した差はないという事実
ある人は老後
ある人は生活
ある人は金銭
ある人は異性
ある人は仕事人間関係ジャンルは問わず不満不安はあるが

不安や悩みってどこから来るんだろう
それは・・・・・・・現状の自分から発信中!!!
言いかえると自分の理想や望み期待から
発信しているということ

例えばあの人は○○でうらやましいと思う
きっと○○なんだろうなあと創造する
それは自分の現状と「比較」する心理から発生させ
自分が真逆の立場にいるから憧れや望む

じゃあどううすれば不安や悩みは消えるのか?
それは「何も望まないこと」異性とのケンカも相手に要求があるからするわけで
「私はこんなにしてあげてるのに・・・・」と
しかしそれはあなたが勝手に理想を抱き見返りを求め要求するからそうなる
「○○の為」「○○の為」だからと言い価値観を理想を
押し付ける人がなんでこんなに多いのか?それはあなたの自我の為でしょう

価値観は人それぞれ違う
それを相手に求めたり、世間や社会に求め
「自分に照らし合せて考えるから不満がでる」

皆頭の中身は違うんだし

「もっと美味しいもの食べたい」
「もっといい部屋に住みたい」と「もっともっとと求める心」

理想を勝手に創りだし自分で罠にはまりああでもないこうでもない
と言っているだけ
様々な情報も簡単に手に入り自分と照らし合わせる時点で不満がでる
比べるから不安になる

幸福とは不幸が無い状態にすぎない
満足とは不満が無い状態にすぎない
一方の幸福や満足ばかりを求めるからおかしくなる

他人と「比べず私はこれで充分です」と受け容れた瞬間から
人生に不満も不安も消え失せる
他人と競争して何がある?勝利の満足?敗北の不満?
他人と比較して何がある?優越感 劣等感 妬み 憧れ・・・

結局何の悩み問題でも自我や価値観が満たされるか満たされないか
ただそれだけで大した差はない

「全て自分が原因」
複雑に見えて根本はこんなものでしょう

過去と依存~自虐の詩~

人との別れはさみしいね 従業員が辞める

私も転職を繰り返し様々な人間と接触してきた
今はただこの法人にいるってだけで心を伝える?
いや気づいてもらうためにいるのかもしれない

「楽に生きて欲しい」「自分は何者なのかと気づいてもらうために」

○○があっての自分○○が消えるのを恐れる
心が揺らぐときもある
なんなんだろ?あの感じは嫌な気分や違和感・・・

違和感は通常の状態じゃないから感じること
じゃあ通常ってなに?今の状態に変化が訪れる
これは当たり前 しかし今に固執しているから変化を嫌う
季節も自然も花も動物も毎日毎瞬変化しているのになぜ嫌うのか
私はその変化の一部 いや一部ですらないのかもしれない・・・

「どうでも良いとは違うかな・・・」

変化は当然のように起きる同じことは二度とないのに
なぜこういう感情が起きるんだろう?
1人の人間がいなくなるから  違う!
所属が変わるだけで何も変わらない
なぜこういう状態になる 軽い依存、執着?
今尚こうして他に意識が残っているということ
影響されるとはそういうこと 完全に自分を観る 受容と拒絶

他が消えることで自分の何が変わる?何も変わりようがない
ちょっと気持ちが変化するだけ
ここで何を学ぶか
自分の感情の変化をどうみるか

周りが変わっただけでそれに流されているだけ
周りが毎瞬変化しているだけ
私は変わりようがない変われるはずがない
唯一変わるのは気持ちくらいだろう気持ちなんてコロコロ変わるもの
それにいちいち反応していたら身がもたない・・・

私は生まれてから何が変化したのだろう
知識を身につけ、欲をまとい様々な体験をしてきただけ
それも表面的な事 何々をしている私 何々に基準があり私を
置き去りにしていた私
私は歳はとったが根柢の部分は変わるはずもない
生まれて成長し老いていく 自然の流れに乗っているだけ

依存するから衝撃も大きい 
生きていることに執着するから苦悩が大きい
自我に執着するから苦悩がある
私の何に執着をしているのだろう

長年見てきた身体 体験したという記憶という名の過去
記憶に過去に雁字搦めだ・・・・・・・・
私という存在は過去の記憶でしか生きていない
過去を今に投影し生きてるにすぎない
過去ってなに?過ぎた時間 その時間を取り戻すことは
不可能なのにあの頃はあの時はと振り返り今が死ぬ
死んでいるにすぎない 今を生きていないなら

過去の記憶で形成されている私
脳の機能で生きていただけ
さっきの記憶 昨日の記憶 一年前の記憶 何十年前の記憶
何十年前の記憶という脳の機能で動かされ従っている私
私は過去の記憶に執着し、良い悪い好き嫌い正や不正など
様々な事を判別して生きてるにすぎない
木に例えれば昨日の風は良かったとかこの間は枝を伐られ大変だったとか
今日は良い天気だと過去の雨の事を気にして生きている
過ぎたことを記憶しそのイメージで形成し固執してきた私

記憶という脳の機能の一部に雁字搦めにされ生というモノを
完全に見失っていたということ


最近の出来事で様々な考えが浮かんだ時の話を載せた

~人間の詩~生きる

生きるってなんなんだろう

生きることに必死になり幸福を追い求め
これでもない、これも違うと自分を探すために
彷徨いつづけた何十年という歳月

一瞬の幸福はあったかもしれないが苦悩の方が多かった気がする

モノを手に入れることに翻弄され
お金を手に入れることに悩まされ
それでもそれが手に入れば幸せを掴めると信じて・・・


そんな人生に疲れ果てふと自分を見つめてみた
「なぜ幸せを求めるのだろう」
「なぜこんな感情がうまれるのか」

問うことにさえ苦悩があり迷いに迷った日々

「幸福は世間やモノにあると思っていたけれど
それは最初から自分の中にあったということ」

求めることに疲れたとき「一度」自分という存在を見つめてみる
もう迷うのはウンザリだ「幸も不幸もいらない」

私は私を静かに歩く






私って・・・~人間の詩~

人が社会というモノを創り
社会があって人がいるわけではない

「社会があって私がいる」のだと思っていた
社会は必要だが人が創っているのだという考えは
完全に見失っていた

例えばそれが社会という大きなものではなく
1つの会社として見てみると
「人が会社を創っている」これをどれだけの人が意識
しているだろう?

当たり前のようで勘違いしそうな部分
わたしは社会の歯車にはならない!と自由奔放に生きてきたつもりだったが
自由だと勘違いしていたにすぎなかった
金がなければ死ぬ 金金金
だから仕事をする 社会に受け入れてもらわないと死ぬと錯覚した

ある時期から自由は捨て会社人間として働いてみた
刺激はそこそこあるがつまらないとさえ思った
しかし金がなければと自分を殺し働いたけど長くは続かなかった
刺激を求めまたあれこれやらかし、他人に迷惑もかけもうウンザリだった

「なぜこんな上手くいかないの?」と自己嫌悪に陥り
「無気力」「不安定な心」
刺激あるものを見つければ又自分を取り戻せるとさえ思う時期もあった

しかし現実はただただ苦しい
自我が飢えている
「やらなければ」「頑張んないと」と無理にモチベーションをあげては
一瞬で落ちるの繰り返し
もう心はボロボロ・・・・泣きそうで苦しく悔しく「もう生きているのもイヤだ」と・・・

そんな時本を様々読んでみた当然買う余裕もなく借りたり立ち読みを
毎日していた 自己啓発、思想を中心に
「一瞬の興奮はあるが長くはもたない」
また次、次と読み漁り何かヒントがあるんじゃないか?
きっかけがあるんじゃないかと・・・・頼るしかなかった・・・
なんとかしないと・・・

しかし答えを外に求めても見つからなかった・・・
ヒントはあるが自分ではない気がして虚しかった

それからひたすら自分というモノを過去を見つめ続けた
なぜ色々な感情が沸き起こるのだろうか
怒り歓び緊張などなぜ起きるのだろうかと自問自答をひたすら繰り返す
ある日・・他人の目を気にしすぎ偽りの自分を創っていたことが見えた
良く思われたい 良く見られたい 嫌われたくないなど自分の目は
他人に奪われていた それは幼少期のトラウマだった

他を気にする自分って・・・・なにそれ?
こう思われているだろうからこうする
こう見られているだろうなと自己嫌悪に落ちたり
比較比較の連続 あの人は自分より上だ下だと勝手に識別している
愚かな自分・・・
それに何の意味があったんだろうか

しかしそうしていないと自分が無くなるような気がして自我に
すがるしかなかったのも事実だし・・・
何かが無ければ自分じゃないという固定観念に囚われていた

「自由に生きてるね」「うらやましい」と言われていた時期もあったが
自由ほど大変なことはなかった
全て自己責任 これが又疲れる・・・・今は良いけど あのころの自分だったから
もう最悪・・・

人は何かに依存して生きているのは事実
それがなんであろうと大差はない
しかし自我というモノを基準にして生きているというのも事実
「自我が私だと」自我は私ではない 私は私 自我はその辺に溢れている

私は私が私だけ私を私しか・・・「世界は私だらけ」それでも私は・・・どうでも良い
皆自分の世界で生きているんだから私という自我は私だけじゃないと気づいたし

常に自分を観察していたら何もしなくても良くなった
したくもなくなった
何かをすれば必ず欲望が芽生え自我が出てくる「待ってましたと」
それにくっつけばもう落ちるしかない・・・・あの悲惨な頃に
迷いに迷っている人生に

こうして外を見れば社会というモノがあるし
私もその中にいる
社会が無ければ飯も食えないし 迷っている人々が多すぎるのも困ったね・・・

誰もが幸福になりたい 誰もが良くなりたい
もっと上をもっと上を目指しどんどん走る止まったら終わりかのように
その幻想が社会で目指すことが良い競争競争死ぬまで競争
目標を持つのが良い 未来を見なければならないとなってしまったから
苦しかった置き去りにされないように走った
ゴールなど無いのに走った・・・競争の先には競争しかないのに
ゴールがあるかのように走り続ける ゴールが何かも解らず走っていたね

一旦走るのを止めて自分を観るのも良いかもね 私はなんなのか生きるってなんだろう と
目標がなくてもこうして不安なく日々すごせればそれでいい
結局安心するために働き対価を得て「安心するために」求め走ってきたんだから

まるで死人~自虐の詩~

「生きる」誰もが生きていると思っている
生きていると思っているだけで死人のようだ
自分を知らないんだから

生きがいってなんだろう?と自問自答・・・・
生きがいなんてない

身体は内臓機能し生きてしまっている
勝手に機能は止まらない
仕事が生きがい、趣味が生きがい、旅が生きがいetc…
人それぞれだけど

それっておかしくない?
仕事がなければ生きていないのか
趣味や旅行がなければ生きていられないのか
何かがなければ死ぬのか 生きていないのか


なにか充実感や満足感をいかに満たすか
それに翻弄される人間
空虚感味わえば「なんとかしなければならない」
と一方に流れる 空虚を嫌う
楽しい方 充実している方に自分が考える良い方向にいたいという欲求
ここにも「自我」がある

仕事を楽しむ趣味を楽しむこれは生きがいではない
生きがいにしてしまったら無くなった時に頼る自己が消えてしまう
生きることそして自分という人間を見失ってしまう
見つけるために又何かをしでかす

本来は何かをしているから自分ではなく
自分がありそこに何かがあったというだけの事

私は●●だ 私は●●だとそのものにすがっているにすぎない
例えば愛はいずれ消える
あの心はどこに行ったんだろう?
あんなに好きだったのに・・・
別れればそんな魔法も消え異性は他人になる
出会う以前と変わらない むしろ嫌いになるw

自我は何かに捕まっていればそれで満足
趣味思想仕事なんでも良い 満たされればそれで良いんだから

かつて私も様々な趣味遊び仕事を経験した
自我を満たすためだけに行動的になっていた
ある時はバイクやサーフィン・CLUBで踊りまくり・毎晩酒を呑み
ある時は仕事に没頭し
ある時は女 と遊び 自分というモノがなんなのか?自分を探す為
仕事も20数種類経験し それでも自分は見つからなかった
「自分ってなに????」自己嫌悪 憂鬱状態・・・・・・と
絶望のもとにいる時ふと気がづいた
ほぼ絶望だらけの人生だったけど(参照)
表面が変わっただけで自我を満たすというところに
変わりはないんだと
その時得ている充実感はいつか必ず消え失せる
表面を変え違うこをとしているように見えるが根本は同じだ
やることが変わっただけ

満たされなければ満たす為に何かをするし
何かを考えるし
そして人生は堂々巡り 自我を満たす為だけに生きるしかなくなる
なんでも良いんだよね満足すれば・・・

なぜ?こんなにうまくいかないのだろう?
なぜ?私だけこんな目に合うのだろう?と落ちた時に
考える
なぜ私は落ち込んでいるのだろう・・・・と
そうすると様々な人格を変える時期が幼少期からあったり
仮面をかぶり他人に良い顔したり
何枚も人格という衣を羽織
様々な仮面で表情を変える・・・それも心とは裏腹に
本当の自分に逆らい偽っていることに気づけると思う
そこの閉じてる心の蓋を開けて覗き込めるかどうか
隠している心の蓋を
必ず原因がある

蓋があるから覗き込まないから隠すから苦しい だから落ち込む
生きているということを見失ってしまう
表面に囚われてしまうから心の自由を奪ってしまっている

「人生」って本当の自分というモノに出会うためにあるような気がする
彷徨い歩き 自分にたどり着く というよりは家に帰ってくる感じか
何をしでかそうがどんな大金得ようがどうでも良い
死んだら全てが無くなる 無くなる恐怖があるから何でも溜め続けるし
増やそう増やそうと詐欺にあう
落ち着く暇もない 何かをしなければそれを守ることができないから


私自身楽しいことは何もないし
楽しみがないから落ち込まない
楽しみがないから不幸もないが絶望も失望も空虚感もない
不安が無いから安心がある

幸せを安心を
「追い求め追い求め」て「走って走って」「考えて考えて」もそこの先には何も無い
何を得ようが先には何もない
何をしようが先には何もない
あるとすれば絶望

「生きる」私という道 私が道 世間のモノでも金でも仕事でも
それは私の道ではない道と共に歩いている
だから将来もない
希望もない
なんの望みもない

だから不幸もない楽しくもない

ただ落ち着き過ごす ただ落ち着き私を歩く

不幸が無いから幸福がそばに在る
不安が無いから安心がそばに在る


6.12.2013

~ワンコの詩~

愛犬ぶぅちゃんの死が迫っている・・・
切ない切ない
いつかはサヨナラだけど・・・

もう少し一緒にいたい
しかしこれは自然な事なんだと自分に言い聞かせても
言い聞かせても受け容れられない

あああああああああああああああああ
ああああああああああああああああ

退屈って!?~人間の詩~

ぶぅちゃんいなくなったら どういう感情で生活するんだろ?
13年という歳月
色々あったな~(@_@)
今こうして落ち着き過ごしているが、ぶぅが居なくなったら完全な孤独だ!
以前の様に何かにすがるのだろうか?
すがるのは何でも良い
自我は満足感得ればする事なんてなんでも良いんだよな~(@_@)
又、あれこれ とらわれるのかな~?
まぁそれは無いか( ´艸`)
もうウンザリ!あんな過去

でも、そんな過去の経験があるから今こうして居られるのも事実
看病あるとはいえ ずーっと家に居る事なんて無かったと言うか出来なかった(・д・)
買い物や様々とにかく外出していないと落ち着かない日々
ソワソワその時間を持て余してるかのように・・・
1ヶ月以上こうして家にいるが退屈を感じた事はない
不思議だ!
あれほど落ち着かなかった人間が行動的な人間が真逆に成った
行動的を体験したからこそ
このゆったりの時間を知る事が出来たし、初めからゆったりしている人間は行動的になれないのも事実
双方体験したからこそ良さ悪さを知ることができたしヽ(^。^)丿
ゆったりも出来行動的にも成れる
ちょうど中間でバランス取れて良いかもね!
程々とは行き過ぎた事を知ったから程々が良いと知るわけで
初めから程々ならばそれはただの手抜き以外何でもない(>_<)ゞ

酒も飲みすぎれば程々が良いと気づき食べすぎもそうだし遊びもそう、なんでも突っ込んでまずはやる!突っ込むことで本質を見抜き
自分の身に成る

その体験から程々という加減を初めて知るのだと思う

知識は体験には適わない!
ネットで何でも仕入れる事が出来るがそれは知っているだけで経験ではない(@_@)
所詮上辺をすくってるにすぎない
しかし体験した事に固持してもダメ(゚o゚;体験は既に過去でしかない
その体験を身にし、今の自分を見つめることが出来るかどうか
ただそれだけ

あの頃は良かった
あの頃に戻りたいと言う声を何度聞いたかなあ
私は戻りたくない!!!!!!!!!→クリック
イヤだあんな過去も偽りの存在も

戻りたいという感情はその時期に何も知らず刺激的だっただけで
今仮に戻っても楽しいわけがない(-_-)zzz
そこで今を見ると・・・楽しく生きていないと言うだけのこと
今なぜ楽しくないのか???
その原因は必ず自分にある
未来を創造しても現実は今
この瞬間だけ
退屈楽しくないなど無気力になった時自分の原因を探せば
時間を持て余す事なんて消え失せる!!!!!!!!!
今この瞬間しか無いんだから時間は

たった一度であっという間の時間と人生
自分の道を自分自信を生きるという意味に気づけるかどうか
私はそのために生きてるのかも知れない

くつろぎの時間

「リラックスして生きれば」優しくなれる
「リラックスして生きれば」笑顔になれる
「リラックスして生きれば」幸せは必要ない

心に余裕がないとね~!

活動を通じ本質を伝える活動は表面的な作業で
本質は自分の素直な心に気づいてもらう
心を磨くということ

活動を通じ様々なことが起きる
その都度人々の事を考え、そして自分を見つめる

リラックスのもとに生きて欲しい
苦悩など無い世界で生きて欲しい
ラクに生きてるからこそ人に手を差し伸べられるのではないか!?

自ら感じて欲しい
目の前の表面的なことに惑わされず、本質に気づいてほしい
自分が誰なのか 生きることとはなんなのか
なぜ悩みがあるのか?なぜうまくいかないのか?

それは自らの体験からくるもの
知識ではない他人の言葉でもない体験からくるもの
徹底的に自分を見つめてみる 

時間は永遠ではない


華は咲くのか~人間の詩~

~お笑いを観てて感じたことをここに綴る~

『あの人は偉い』
社会的地位があるから肩書きが一種の目安になる

偉い?って何?
そもそも人間は人間以外何者でもない

犬は犬 魚は魚 虫は虫まあそれぞれ種類はあるけど
「あの犬は偉い」「あの虫は凄い」なんてないよね?!
なぜ人間だけが偉いや地位があるの?
偉いから肩書きに礼をする
役職に対し礼をする その人がどんな人間でも
とりあえず礼をするwww
それで裏では「どうのこうの」愚痴る・・・
ただその能力に優れているかどうかの違い

ある人は経営に優れているかもしれない
ある人は笑わせることに優れているかもしれない
ある人はコミュニケーションに優れ
ある人は歌に優れているかもしれない

だからといって能力がある=偉い価値があるわけではない
上に立ちたいと比較する

優れているのは自然の流れで自然と役割を持つ

あれこれしたいと欲望をもち
ああなりたいと憧れそして望む
しかしそのギャップに苦しむ人間という生き物
欲や希望があるが故に

憧れを持ちその才能が最初からなければ華は咲かない
自分という種はなんなのか?
社会に浸り開花せず終りを迎えるのも人生
あれこれと探究するのも人生

良い悪いはないがその仕事が自分の種ならば
いずれ芽をだし華が咲く

心に無理をする時点でそれは種ではない
自我だ!
心というモノに負担をかけず自分に無理をせず自然体で生き
今の自分が現実でそれ以外何者でもない そして平等だ
金があるから偉くもない 地位があるから偉くもない
同じ人間 食って寝て死ぬ ただそれだけ

今が全てだ 完璧だ!
今に不満があるならそれは
憧れや希望という自我があるということ

自分を見つけるか見つかるかは自分次第

6.11.2013

人間と植物は同じ様なもの

適当な人間は好かれる
いい加減な人間は信用されない
良く『適当なんだよね~』という
人間もいるが、それはいい加減な人間
適当はしっかりとした部分があるから適当であって、いい加減は全てにおいていい加減(>o<)
堅苦しい人間は息詰まるし
いい加減な人間はいい加減だし
両方を兼ね備えてるのが適当な人間だと思う

自身はいい加減の塊だったが
16歳で高校中退し社会人となり全てにおいて自己責任の世界(*_*;
いい加減でそれは全て自身に返ってきた(T_T)
それはそれは悲惨だった・・・

それでも生まれて何十年染みついたいい加減ブリは中々改善されず・・・災いだらけ~
『なぜ自分だけこんな目に合うんだ!』と思って生きてた
それは結局自分が蒔いた種でしかない(>_<)ゞ

悪い品質の種を蒔けば悪い芽が生え
良い品質の種を蒔けば良い芽が生える
良い芽が生えたら手入れを怠らず良い実になるように心がける


人間は植物と同じだよね!
ごまかし農薬だらけなら味も悪く安いだけ!
無農薬で大切に手をかければ味も濃く品質も良い!
適当に生きる適度に生きるって大切だね~という事

心の種その種を蒔くのはアナタです

トイレは手で磨く~自虐の詩~

誰が言った言葉かは知らないが
正にその通り!!!
部屋をきれいにきれいにしていると心も
金銭面も正される

いくら外見をきれいにしようが良いもの持とうが
心が乱れていたらその人には何の意味もない
いくら外見にお金かけようが部屋が汚い人は無理~
っていうのは以前に自身が汚かったから乱れていたから
『服は散乱し掃除はしない洗濯物は干しているのを着る』
これが普通だった

部屋が汚れていても誰にも迷惑をかけてるわけじゃないし
別に良いじゃんって感じ~
しかし徐々に自分の意識を変えていった

理由は自分が嫌いだったから!!!
全てにおいてだらしない自分が嫌いだった・・・

お金女仕事と全てがいい加減
そのおかげ!?でお金は稼いでも直ぐなくなり
女にはフラれる、仕事は直ぐやめる
そんな何十年と汚れの染みついた人間

もうウンザリで早く人生終わらせたい時期もあったし
そんな時「どん底へ落ちたら底を掘れ」精神で自分という存在に
向き合った
嫌いなところの意識改革実行!!!

①洗濯物はたたむ
②毎日掃除床も雑巾がけ
③トイレは手で磨く
④直ぐにかたずける
⑤直ぐに食器は洗う
⑥直ぐにゴミを捨てる

とにかく面倒くさがる前に直ぐにやる事を徐々に実践していった

『もうあんな思いはしたくない』『もうウンザリだ』という想いで

そしたら徐々に好転していったお金はそんなに稼がなくても余るし
気分も落ち着き焦っていない余裕があるから行き詰らない!

初めからきれい好きな人には理解できないかもしれないが
まるで人生が違う!!!

『部屋の乱れは心の乱れ』
モノを得て満足を得るより心を磨くことが生きる上で大切な事

だというのを身を持って体験したという話


ワンコ

なぜ?ワンコはこんなにも忠実?なんだろう?
離れている期間があっても忘れず喜び迎えてくれる
あまりかまっていない時期もあったし(*_*;
それでも愛を忘れない
今もこうしてそばにいて眠っている(-_-)zzz
この子とはずっと一緒だ
人間とは何が違うのだろう?
病気のため残された時間はわずか・・・
私はこの死を受け止められるのか!?全くの孤独になる
帰っても迎えてくれるこの子がいなくなったら・・・

生きる~自虐の詩~

私は努力の放棄者だ!
頑張ることを止めた

「努力」ってなによ?頑張るって何?
無理に自分のモチベーションあげて動こうとする
それは生きることに必要なのだろうか?
冷静に観ると競争社会の中で幼少期から育ってきた

勉強のランク 学校のランク 職業のランク 社会人ランク
これが当たり前だと教えられてきた
競争競争 勝った負けた 勝ち組負け組

競争に負けたら人生の離脱者のような感覚を味わってきたし
このランキングにどれほどの価値があるのだろう?
以前は私も社会でいう役職でみれば良いところにいた
その時は「誰もが見る目が変わった」
が辞めた~ああああ
安定も収入も全て捨てた
理由は飽きたから ただそれだけw

そんな状態で仕事をしている自分が嫌だった「無気力」
ただ働く ただこなす・・・日々
刺激が無くなったからだ 努力し成り上がり役職を手にした。
これはこれで、とても刺激的で充実感もあったのも事実だが続かなかった
それからお金も減り大変な目にあったけど、戻りたいとも思わなかった
自分に心に正直じゃなかったからね~
偽りの自分 無理をし創ってきた自分

だから放棄した「頑張らなくて良い」
ごはん食べられ、寝るとこもあり、エアコンもあるし快適~
そんなもんでいいよ

「生きる」を軸にしたとき、他人の存在は消える

「私は私の道をただ歩むだけ 私が道だ
誰にも私の道は創れない
誰にも邪魔されない私だけが歩ける道だ」

ありのままで生きていく
ただそれだけ

どん底へ落ちたら底を掘れ

エッさエッさと底を何度も何度も掘り
それでもまだ底がある   人生は絶望しかないのか?


自分観察してから2年     以前より「おちついて」生きてるけど
それでも苦悩がある自分に対し
徐々に徐々に掘っていけば
いつか「スコップいらね~」と放りだせる日が来るのかな~

もう様々なことに影響されている自分がイヤだ
今も怒りの感情があるwww
なぜ怒る必要がある?
やっぱり「比較だよな~」どうしても比較してしまう
自分の方が勝ってる劣ってると一瞬で判断し嫌な心が芽生える

比べて何になる?

比べることで自己を満たしたいだけと気づいたのに・・・
満足感を得たいがために・・・瞬間でこの状態になってしまう

たかが人間 脳に支配されているだけの存在
相変わらずちっぽけな存在 狭い狭い世界で生きてるなあ

人間から見た蟻レベルの存在の小ささだ


チャンチャン♪




6.10.2013

肺腫瘍闘病日記

ぶぅちゃんage.12ワンコ

今日の夜が最期になるかもしれないし

こればかりはわからん・・・

肺腫瘍診断から45日

今日の夜も呼吸止まるかもしれない・・・・


こわい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぶぅちゃんの存在

愛犬ぶぅちゃんが昨晩2度ほど倒れた

肺腫瘍肺気腫と診断され1か月以上が経つ

生命力に驚く

呼吸困難になり「パタッ」と突然倒れこむ・・・

意識を戻すために揺らす

意識がないグタッとしたぶぅちゃんはぶぅちゃんじゃないような

変な感じがした

肉体だけの存在・・・

私もいつかは死ぬ

そこに意識もなければ ただの肉体でしかない

あの不思議な感覚・・・ぶぅちゃんのようで違う感覚

小さいころから一緒に暮らし13年目

いつもいつも甘えてくるぶぅちゃん 小さいころから変わらず

「生きる」「生きてるって」何?

意識があるか無いか?そんなんじゃない

内臓が動いていれば勝手に生きるし、脳は勝手に考えるし

存在はどこにいるんだろ?

そんな気がした



人間の詩

1人の人間が真理ならば 池に小石を落とした時のように 輪になって波動は広がっていくが その人間が真理そのものでなければ 池に小石をばらまいているようなもで 波動も小さくお互いがぶつかり合い直 ぐに消えてなくなる

見聞で何を知ろうがそれは知識であり 真理ではない あたかも知ったように錯覚する真理は すぐに消えてなくなり何一つ価値もな い。 1人の人間が真理そのもので在れば 為すことは何もなくとも その波は広がっていくという事。

鹿子age.34 Yoga

なんの為に?

Imeditate for me
yoga鹿子age.34

私は私の為に瞑想をする

6.09.2013

永遠ではない時間

時間は永遠ではない
ぶぅちゃんが肺腫瘍と診断されいつ死んじゃってもおかしくない状態だ……
もう1ヶ月以上看病をしている
さっきも一瞬呼吸が止まり倒れた

こうして生活していると全ての生き物の時間は永遠ではないと考えさせられる
ボクもいつかは死ぬ早いか遅いかの違いしかない
永遠に続くような感覚

普通に生活していると生きてるのが当たり前に感じる
誰もが明日死ぬとも思っていないし、朝目覚めると思っている
明日の仕事の事を考えるかもしれないし
何時で起きないとと考えている

時間は永遠ではない

今を大切に
暇や退屈な時間なんて無い!
退屈な時間とは欲求が満たされていないだけのこと
時間は時間皆に平等に流れている

今を生きるか先ばかりを観て生きるかの違いでしかない


落ち着かない日々~自虐の詩~

ん~落ち着かないなあああああ

理由は完全な安心を手に入れたいという欲望があるからwww

今でも十分に安心があるにも関わらず・・・不安が無いにも関わらず

刺激を求めている心

モノや様々な価値の興味から→落ち着きたいという興味価値に変化したに
すぎない・・・

「何を求めている?」

「求めることで失ってきたことが多々あった」

求めに求めてきたじゃん・・・

もういい加減気づけよ私www

散々走り回り満たされることなど何一つなかった

こうして落ち着く環境があるにも関わらず・・・求める心

検索し何を得ようというのか?

本を読み何を得ようというのか?

得ようとしている時点ですでにとらわれているという事実があり

まあ気づいたから良いや~◎

ただ落ち着いて限りあるぶぅちゃんとの時間を大切に

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yoga鹿子age.34