6.22.2013

欲に釣られる魚たち~欲望の詩~

頭は最高の営業マンだ
あなたを欲望の罠に誘い込む営業マン

「こんな事をしてはいかがですか」
「こういう趣味はどうでしょう」
「これなら出来そうですね」と言葉巧みに誘ってくる
しかもあなたに都合の良い欲望を提案してくる
あなたは騙され罠にかかる

「もう騙されないぞ」と思いながらも 又別の角度で欲望を提案してくる
「次はこうすれば上手くいくよ」「次はこれなんか良いんじゃない」
自分で創っている詐欺師だwww 

詐欺にに引っかかる人は馬鹿だと言い、自分詐欺に合う人々

釣りもそうだ 何回も釣られ魚を馬鹿にするが人間も同じだ
「楽しみというエサ」
「幸せというエサ」
「お金というエサ」に飛びつく、そして何度も釣られる
人間はキャッチ&リリース!!!
釣られては放され釣られては放され、
それでも「もっと沢山エサを頂戴」と言い始める始末

欲望なんて他に置き換えればこんなモノ 人間なんてこんなモノ

理性という名のブレーキ!?~自虐の詩~

人間にはブレーキがついている「理性」
理性がなければ人は暴走する

私は興味があったことは何でもやる主義だった 私のブレーキペダルは錆びついていたようだ

楽しそうならなんでも良い
全てそんなノリだ そんな感じで生きてきた その分苦労もハンパ無かったが・・・

そのブレーキというモノはなんなのだろうか
他人の存在というのが一番の理由だ
「他人にどう思われるか」 「他人にどう見られているのか」「何か言われるかも」「恥ずかしい」ただの自意識過剰
誰も他人に関心は無いし、見てもいない、死んでも気づかない

しかし人々は実行前からブレーキをかける
頭で様々妄想し結果今のぬるま湯に浸かる
自分で判断したにもかかわらず「退屈だ」と言い始める
刺激が欲しいのに行動は抑える、しかし「楽しいことがない」と言い始める

私はこうしたいけど誰かに言われたから止める そして後悔する

それほど他人というモノに目が奪われている
奪われていることにさえ気づいていないけど・・・

私の近所にはアル中のギャンブラーが多数いる
朝から酒が当たり前の世界 これは一見好きな道を歩いている様にも見えなくもないが
酒に依存しギャンブルに依存しているだけ 当の本人は自由に好きな事をして生きていると勘違いしている。その先に待ち受けているのは廃人、輝きを失った人間だ!
私が以前そうだったから解ることだ

人生一度だけ死ねば全てが幻に変わる
しかし幻に変わるということは今現在も既に幻だという事

この世に楽しいことは何も無い、楽しみが無いから苦しみも無い
しかし「幻想」に気づける人間はやり尽くした人間だけだ

籠の中の鼠~人間の詩~

こんな話を読んだことがある

「野心を抱き、競争心を燃やすことは酒に溺れるのと同じだ
そしてこちらの酒の方が良く効く。社会はこの麻薬にどっぷり浸かっている
何かを追いかけるものがあると、あなたは気分が良い
追いかけるものが何もなくなると、途端にどうしたら良いのかわからなくなる。あなたは直ちに何か新しい没頭できるものを創りだす」

私はこのようにして生きてきた
好きな事をし、イヤなら辞め、辛いことから逃げ出し
その逃げることがやるべき事を創りだすという事だった
新しいものには刺激がある 欲望には興奮がある
やりたいこと、思いついた全てを実行した
しかしそんな一切は幻でしかなかった・・・何もなかった

籠の中のネズミ 車輪をひたすら回り続けるあれだ
籠を社会と捉え、車輪があなたの欲望や価値観だ
ただ走る ただ回る 自分の世界でただ走る そしていつか苦労の末に尽き果てる
狭い頭で時間を飛び越え 未来を創造し自分を奮い立たせる
そんな未来は存在しないにも関わらず、奮い立たせる必要がどこにある
あなたは誰かに「奮い立たせて興奮状態で生きなさい」と言われたのだろうか
あなたは苦悩の最中に「このままではダメだから気分を高騰させる何かをしなさい、何かを見つけなさい」と言われたのだろうか

それが幼少期から刷り込まれた教育で社会だ
「何かにならなければいけない」 「何かをしなければいけない」 「成功者にならなければいけない」
「不安にならないようにモノ金を集めなさい」 「満足するために集め続けなさい」
「集め続けないと充実した人生を送れませんよ」と

成功者を観れば羨み 有名人を観て憧れる。そうして他人に
目を奪われたまま自分自身を解らないまま終わりを告げる

私という人間が存在すれば他人も存在する
他人が存在すれば比較し嫉妬し様々な事を気にかけ他人という意識に振り回される
永遠の私理論という自我が消えなければ苦悩は消えない

根本の根を絶たなければ樹は枯れない

そして人生の歓びは一瞬で消え、苦悩が絶えず終わりを告げる
あの時に、こうすれば良かったな・・・と過去に生き終わりを告げる

何が変わったのだろう・・・

子どもの頃の記憶・・・
あれから何十年一体何が変わったのだろう

学校が職場に変わり
勉強が仕事や競争に変わり
遊びがお金を使うことに変わった

時が経っても変わったのは経験体験による記憶だけ

大人になり仕事で対価を得、モノを手に入れた

しかし一体何が変わったのだろう
記憶量 情報量が増えただけじゃないの?
知らないことを知り、そして欲が出た
知らないことを知り、そして苦悩した

子どもの時は何も知らないから何も無かった

様々な事を余計なことまで身に着けてきたことで
望み 希望 求める心という自我まで身に着けてしまった

一体何が変わったのだろう
何も変わってはいないんじゃないの?
考え方や興味が変わっただけで何も変わってはいなかった

何を得ようが何をしようが自身に起こったことは変わりようがない
何一つ変わったことは無い 周りが環境が変わり私は何も変わってはいない

情報記憶に追随する自我
生命は生きそして死ぬ


6.21.2013

苦悩からの脱出!?~苦悩の不在~

結果のみを追い求めると道を誤る

その結果は人それぞれだが結果は過程の先にあったもの
しかし目標が無ければ結果は無いのかという疑問もある

目標が無くても結果はある今
今この現実この瞬間が結果だ全てだ 今の時間以外存在しない
結果は誰も解らない未来だ
「今を生きる」という漠然とした良い方もあるが
今を生きるって何?と感じる人もいる、今が解らないのに・・・
 
今 この瞬間に私は何を考えてどう行動しているのか ただそれだけ
全てにおいて無意識で生きている人間
何から何まで無意識だ 自分が何をしているかも気づいていない
今あなたはPCを使っているかもしれない
スマホを使っているかもしれない それはなぜか
退屈を感じ無意識に使っている 面白いサイトを見つければそこにあなたはいない
他にモノに目を奪われている

無意識に歩く無意識に食べる無意識に発言する
無意識に感情を露わにする そして無意識に死ぬ

意識をしていたら怒ることはできない 怒っているときは我を忘れている
考えている時でさえ忘れている 妄想に幻想に想像に過去に頭の中はフル回転だ
 しかし思考が時間を超え行ったり来たりしている事すら気づいていない

「どうすれば」「どうなる」「どうなる」と様々な事を見据えて動く心
肉体は空間のみに存在し思考は時間にのみ存在する

リラックスしたいという結果や思いがあればリラックスするために様々な事をしでかす
ヨガでポーズしたり本読んだり旅に出かけたり まあ何でもいい
それがリラックスなのだろうか 帰れば夫婦喧嘩 それは一時的な借り物 
リラックスしたいと誰もが思うのに誰もが
リラックス出来ないのは リラックスするために考え様々な事をするから出来るわけがない

リラックスや安心は結果そこにあっただけで今あるわけではない
結果を求めるあまりに私を見失う 私がいないから道を誤る

ジッとして何もしなければその先にリラックスはある
ジッとしていることに耐えられない人間もいるが、そこで自分の行動的な欲望を垣間見ることが出来る なぜ私は落ち着くことが出来ないのだろうというあなたの中の原因が

安心は不安の不在であって安心があるわけではない
幸福も災いの不在であって幸福があるわけではない
リラックスも苦悩の不在であってリラックスがあるわけではない




独り言~自虐の詩~

独り言を綴る

今尚こうして私という基準がある
他との区別
私はこう思う 私ならこうする
私だったら・・・

いつもこの問いに引っかかる
私は私だが他も私と思っている

私って何?この身体 体験の記憶 自我 まあこんなモノだろ
この身体が私 この身体は只の肉体だ
この体験の記憶 これは私の記憶だ
私の自我って何?自分への執着

身体は空間に存在し思考は時間に対応する
過去現在未来と自由自在だ

私と他は根本的に何が違うのか
外見は肉だから関係ない
体験は記憶・・・記憶に執着している?過去が無ければ未来も無い
創造は不可能だ!

そう考えると過去という過ぎた時間に囚われている?
過ぎた時間を呼び戻し様々な体験で今に当てはめているのか………
人間にこうあるべきという定義は無い誰もが自由なはずだ!
なのに自由を感じない 何かに捕まっている 

自由………束縛 解放 この思考自体が束縛の原因か!!!!!!!!!
私はこう考える私ならこうすると考えてしまっている
解放しようとしていると言うことは
束縛されているという事

今のこの状態に落ち着けず一方に流れようとしていた

糾える縄の如し
物事は一本で繋がっている
束縛も解放もどっちでも同じ事
一方を避けることは不可能だ!

私と他の基準価値観それすら考えていることが無駄な事だったんだ

ある人は言います
街の雑踏に居ながらにして修行僧の様だと

しかし私はその辺の人間です、ただ楽に生き死ぬまでの時間をくつろいで居たいだけ

拒絶の恐怖~自虐の詩~

人間は嫌われたくない受け容れて欲しいという願望がある
受け容れて欲しいから、そう願うから嫌になるし心が傷つく

受容と拒絶 対でしかない 拒絶側が虐め 受容側が虐められる
受け容れて欲しいとう感情があれば拒絶され 拒絶すればいずれは対の立場にも
なりうるという事 淡々とこなせば問題は消える

全て自分が創りだしている欲だということに気づけるかどうか


対人関係が得意で表面だけで接する事が出来る人はそれで上手くいけば良いだけ
しかし苦手な人間もここにいた 

人と人との繋がりはいつから表面的になってしまったのだろう
心と心の繋がりが本当の意味での繋がりだと感じる
今でも言うときは言うけどそれはなんの為でもなくただ伝えているだけ
判断はその人に任せる その失敗にいつか気づき自ら修正すればいいだけの事
それに気づいた時にその人の体験になる

私の人生ではない
冷たく感じるかも知れないが両方体験し見つかった心だ
あくまで気づくのは本人で、気づかないまま死んでも人生
気づいて他の人間に伝えるのも人生 どっちでも良い

私が正しいという基準価値観は存在しない
誰もが自分の世界で生きているのだから






6.20.2013

禍福は糾える縄の如し

禍福は糾える縄の如し
幸も災いも一本の縄のように繋がっているという意味かな

人生良い時もあれば悪い時もあると落ちているときに
言われたりするけど効果がない(経験者は語るw)
悪い時にどん底の時に良い方が見えないし見れない

人は幸や安心満足充実と都合のいい方にいようとする
しかしこれは側面で安心も不安も一本の縄と同じように繋がっていることを理解したほうが良い
人間万事塞翁が馬という類似した言葉もあるけど
この悪い状態が良い方向に向かうし
良い状態が悪い方にも傾く例外なく

満足不満 充実空虚 
満足感を得ていればいずれ不満が来るし
充実していればいつか空虚感に襲われる

充実した幸せな時間は永遠ではない
それに囚われ楽しい時間を少しでも長く過ごしたいという
欲望があるから落ちた時に過去を振り返る

「あの時は楽しかった 良かった」そして現実を無視して
未来を観る もう一度あの時間を・・・・・過去の時間は戻らないのに・・・
現実は今しかないのに受け容れられない

なぜ私はこういう状態になってしまったのかを徹底的に考える
そこに自我がどう作用しどう行動し今の状態になったか

自我は表面を変え様々な事をさせている
しかし根は一緒だ 囚われている何かに目を奪われているという事実
執着が一切なければ 肯定も否定もない

これに気づかないうちは地獄のループ人生堂々巡り
同じ過ちを繰り返し 罠にはまり 解決方法を探しまわる
それを永遠に繰り返す 表面は変わっているから根本を見失う

綱引きに例えれば解りやすいかな!?
必ずどっちかが勝っている

一度その縄を捨ててみる 「私はこのままで良い」と
心の底から今の状態をを受け容れる








6.19.2013

「夢 空想 欲望」 そして未来

空想にふけりながら畑でキュウリを盗んでいる百姓がいた
「このキュウリの袋を持って逃げよう」と彼は考えた

「そしてこいつを売って金に換え、雌鶏を一羽手に入れよう。
雌鶏は卵を生んで、それを抱いて温め、何匹かの雛をかえす。
その雛を大きくなるまで育てたら、そいつを売って雌の子豚を買おう。
そいつを立派な豚に育てて、子種を仕込む。そうすりゃ数匹の子豚を生むから、そいつらを売り飛ばす。豚を売ったら畑付きの家を買うんだ。

畑にキュウリを植えたら誰にも盗まれるものか!しっかり見張り続けるんだ。
腕っぷしの強い見張り番を雇って、時々出かけてゆき『おい、こら!しっかり見張るんだぞ!』と怒鳴ってやるんだ」

その百姓は空想にふけるあまり、我を忘れて声の限り叫んだ。見張り番がその声を聞いて、駆けつけてきた。彼は百姓を捕まえて、さんざん叩きのめした。

人間はそのようにして
夢を見、空想にふけり、欲望を未来に投影しながら暮らしている
という話

繰り返す過ち~自虐の詩~

劣等感の塊
モノを得ることに翻弄された日々
得ることで満たされる心

しかしそれは一時的でしかない
時間と共に自我が忍び寄る……それに従う私
終わりの無い欲望 しかしそれに気づいてさえいなかった人生

「刺激が欲しい」
その刺激が生きている事だと人生だと錯覚した
満たされているか不満なのか
満たすために動く
不満を恐れ動く、動かされる

仕組みに気づいてしまえばあまりにも単純
パッと思考がよぎる
自我が寄り添うそして動く ひたすらこの繰り返し
まるでネズミの様に車輪の中をクルクル走っているかのようだ
そこに終着点は無い


ただ走る ただ回る 何回も何回も

自我は表情を変え次から次へと罠を仕掛ける 表面でやっていることが違っても根は一緒だ
人生堂々巡り そして車輪の中で尽き果てる

出口のない闇の世界

出口のない迷路
一寸先にも光すら見えない
絶望の果て

しかしそこから抜け出したい
そんな状態がずーっと続いた時期
自分でもどうすれば良いのか解らず
解らないけど抜けるためもがき続けた
出口を探す・・・が感情が定まらない
上がり下がりを繰り返すそれも時間ごとに・・・
憂鬱・・・出口の見えない闇

しかしそれは突然起こった!
毎朝リラックスする時間を作り何も考えずボーッとする時間
ふと過去の記憶が蘇る
私はなぜこういう状態に陥り易いのか、悩みは尽きないのか
それは自我だった
その抜け出したいと思う事すら自我だった

理想と現実の狭間にいた
「他人と比較する私」
「他人を見て識別する私」
聞くこと見ること全てにおいて他というモノが関係していた
「どう思われている」
「どう見られている・・・」
「どう考えてしまっている?」

人々に存在を拒絶されている感じすらあった時期もある
私などいなくても良いんじゃないか・・・・

一見否定的な感情だが存在を無くしたとき何かが消えた

光が小さく見えた気がした
私などどうでも良い
誰も見ていないし、存在する価値すらないと 
どうでも良い全てが
生きていようがどうでも良い 私が何をしようがどうでも良い
世間に拒絶されようがどうでも良い

どうでも良い

生きていようが死のうがどうでも良い
朽ち果てた私という要塞!!!
長年溜め込んできた毒
少しでも他を意識した時にどういう行動をしているのか、どういう発言をしているのか徹底的に観た

一寸先も見えず闇の中でもがき苦しみ それでも生きなければならない
その根本である生すら捨てたとき 心は解放された

街の雑踏‐避暑地に行けば誰もがくつろげる
しかし戻ってくれば世間にのまれその落着きは消え失せる
それは借り物でしかない その違い


それまでの長い旅
しかしそれは生まれた頃に持っていた無垢な心
ただそれを忘れていたと言うだけのこと







6.18.2013

心の変化~人間の詩~

年内予定の転勤の話が来た
同じ住まいに2年以上住んだこともなく転々としてきた人生

これだけ全国転々としていればどこに住もうが関係ない
しかし人間関係での心への負担が大きい

ほぼ知らない人たちとのやりとり
慣れてるとはいえ負担はあると思う

新しいところに飛び込むのは私にとってプラスも多い
新たなところへ行き自分がどう感じるか心の動揺や
今現在との変化はあるのかを観る良い機会
「どう感じるか」「どう感じてしまうのか」

心は変化があって当然 川の流れのように流動的だ
その心が変化したときでも流れに逆らわず
その水の流れが止まればいずれ汚れが溜まり濁りはじめる
人間の心も川と同じように流れていなければ濁る

流れに逆らえば問題が出てくる

この世に同じことなど二度とない全ては一度だけ毎瞬変化する世界
そして人間の心

今の心境に固執せず流れていけば良い
その時「私」という存在に執着していなければ川は流れ
執着が少しでもあればいずれ沼のように心は汚れてしまうだろう



6.17.2013

EGOIST・・・私!?て

なぜ講演会行って様々な話聞いても
良い本読んでも身になっていない人が多いのは
順番がおかしい

話を聞く読む→自分フィルターを入れる→あれこれ頭のみで考え→実践しない→身にならない
*自分フィルターは自分の価値と基準 まあ自我だよね

まず実践でしょう
聞く読む→実践→試行錯誤→身になる

なぜ先に自分フィルターを入れてしまうのか?疑問だ
これじゃあいくら話し合いをしても時間の無駄

その人が受容的になった時ここからその人のその人にしかない
モノが生まれるのであって

聞いた時点で何が解る?やってもいないのに何が解るの?

経験で話すのと知識で話すのは重みが違う
伝わり方が違う

勿体ない素直に聞いた方が自分にプラスなのに・・・

素直が一番

「私が私は私の私なら」→それは私じゃないでしょう自我でしょう
何回も書いているけどその私はアナタの価値基準で他何十億の人々もそれぞれ基準があるんだから、それは既に基準ではないし 私でもないし価値すらない 

私というモノを勘違いしている
育った環境も違う、興味も違う、身体も違う、脳も違う
それだけ単純な事

「知識・見識・胆識」
知識を得て、自分で確かめ実践し 自分のモノにする事が大切じゃないかな





幻想と幻滅~地獄のループ~

何々をしたいっていう欲があった
仕事なんてジャンルでしかない
飯が食えれば良いだけの事 それに出世や競争があるから
見失ってしまうけど
死ななければ良い!!!
これ以上は望まない
これ以上も必要ない

これ以下もあったわけで・・・・

何に憧れる必要がある
自分に無いから憧れる


初めはどんな些細な欲でも次第に妄想が膨らみ
大きくなっていく


これに散々悩まされてきた創造妄想幻想→幻滅のループ

今が完全な状態 それ以上でもそれ以下でもなく

初心忘れちゃいかんぜよ(@@)

初心は時間と共に忘れ去り 仕事が作業になってしまう
感謝の心も薄れ 訳わからん未来ばかり気にする

「心が折れたと」目の前の現実から逃げるエゴイスト
心は折れない 自我が崩れるのを怖がっているだけだよ
エゴイストに何を言っても伝わりきらない
話しても全て自分の良いように解釈するから

それでもその人が苦悩から抜け出してもらうために様々伝える
様々なことからその人のポイントとなる事を模索して
伝え続ける

しかし苦悩から抜け出せるのは本人にしかできない
たった一つの事でも初心を忘れればどん底へ落ちる

エゴという硬い分厚い殻を破ってもらうため
自分の小ささに気づいてもらうために伝え続ける長い道のり
私がそんな道を歩いてきたから尚更気になるし・・・

私の願いは携わる人たちが苦悩もなく笑顔で楽に生きて欲しい
ただこれだけ

楽に生きればそれが自然と人の役に立てるという事
役に立ちたいというエゴイストではなく、ただ自然に

まあそんな感じ




人生に立ちはだかる壁の正体って!?

壁にぶつかり苦労する
それが人生で何度もあるから困ったことに・・・・

でもその壁は放り投げられるもの

NO壁LIFE!!!!

だってその壁あるいは悩み問題はアナタが勝手に創ったモノでしょう

誰かに「これはアナタの壁です乗り越えてください」と
言われたわけではないでしょう?
勝手に創ったんでしょう???
相手がいたとしてもアナタの価値基準というエゴがあるから他が悪いと言ったりする
この何十億という人が皆自我があるのにあなただけ確実な意見は存在しない
皆頭がちがうでしょ アナタは何十億分の一の人間なのに 
我が我が私は正しい 私が私が私が・・・
永遠の私理論

だから放り投げたwww

そもそも問題や悩みは誰かに「これアナタの問題ね」と出題されたわけではなく
アナタが勝手に問題を創りだし「ああでもない こうでもない」と罠にはまっているだけの事

可笑しくない!?出題者と回答者が一緒なんだよ?
クイズ番組なら一人二役!!!
その問題を解決するために本を読み あれこれ話を聞いても答えはないし
多少は解決のきっかけにはなるかもしれないが はじめからアナタの頭で考えを創りだし
勝手に罠にひっかかっているだけなんだから答えはアナタ側にあるし
勝手に創造で創ったんだから初めから無いんだよ~
その考え自体過去の記憶とエゴだしね

という話でした 単純なこと


6.16.2013

生きるとは

生きるとは何かをすることではない
生きるとは何かにならなければならないものでもない

生きるとは成功することでもない
生きるとは富を築くことでもない

生きるとは何でもない

偶然にこの時代に生まれ
偶然にそういう環境で育ち
偶然に様々な体験をしただけ

生きることに価値もない
生きることに理由もない

全て起こることは偶然であり成り行きでそんな偶然の体験を
これが私だと執着しているだけ

生きることに価値もなければ何もない
生きることに奮闘する必要もない
退屈だから奮闘させる必要もない

何もなければ何もない
何者でもなければ何者でもない
何者でもなければ比較もない

楽しみがないから苦がない
望みがないから苦がない
未来もないから苦がない
明日もないから不安もない

初めから何もなければ困らない
価値や基準が無ければ困らない

この何もない状態が人々の恐怖で最低な悪夢のような状態が
私にとって最高の状態かもしれない


何もないから何もない ただそれだけ

生きるのはなぜ辛いのか!?


「仕事してもうまくいかない」「なぜ?こんな目に合うんだ?」

楽しいことなどほんの一瞬 夢のように消えていった 
残るは苦悩・・・
「どうすれば私の人生は良くなるのだろう」と常に考えていた
お金を多く得れれば幸せなんじゃないか?
仕事が上手くいけば幸せなんじゃないか?
なぜ思い通りに人生が進まないんだ?どうすれば良いどうすれば・・・と

様々な夢を抱き理想を描くも ただ苦しいだけ現実は
稼いでも稼いでもお金は残らず湯水のように消えてくばかり
無理に1日100円生活を一か月験したこともある
「財布を持たなければお金は減らない」
朝ポケットに100円を入れる・・・惨めだ 
しかしそこまでしなければ 私は変わらない
変えられないともがいた

昼と夜働き常に眠い・・・
なんとかしなければそれしかなかった 
自己啓発本読もうが何も変わらない自分 追っても求めているものは逃げていくばかり
もう完全に見失っていた

「どうすれば良いんだ!!!!!!」頭の中はもうこれだけ
目の前は絶望と暗闇

数か月続け自分がしでかしているアホらしさに気づいた
「こんなんじゃない」
次の仕事も決めずに辞める決意をしていた「何をしたいんだろ」


16歳から何をしてきても満たされない心
生きる自分ってなに?と問い続けた人生 苦悩の連続
これは自我に振り回された結果だ
「幸せになりたい」「安心したい」「充実した生活を送りたい」「楽になりたい」と願った。しかし同時に自分を嫌っていた
追っても追っても全てが逃げていく人生 走っても走ってもゴールが見つからない人生
それでも追うしか走り続けるしか道はないと思っていた

他人との比較 私はという自我 何の為に生きているのかと

何度も同じ過ちを繰りす
「もうウンザリだ・・・」

自我で振り回され「私」に固執し記憶に囚われ今を生きていない私
「前はどうだった」「こういうことをしてきた」「私は○○だ」と記憶に雁字搦めにされ
こんな話を良く耳にする
「私はこういう人間だから」と勝手に思い込んでいるから手におえない
ある人の批判 社会の批判 言うことばかりは一人前

体験が重要だ 知識じゃない 体験での苦しみから生きることが観えてくる気がする
頭で考えても何も見つからない 頭で考えても行動にはならない
情報が簡単に手に入るために私は知っていると勘違いしている人が多すぎる
「知るのと体験は違うでしょう」と言うが行動を恐れる 自分を守るこれも自我だ

たかが自我というモノを守るために「私」という勘違いした固定観念に縛られている
理想や希望を抱きいつか絶望という闇に突き落とされる

生きていれば辛いことは沢山ある 自分を見失うときも沢山ある
しかし悩んで苦しく どん底状態にいるときに一度私というものを観る
なぜ私はこういう考えをしているんだろう 他人に対しなぜこういう事を言ってしまうのだろう
なぜ私は同じ過ちを繰り返してしまうのだろうか・・・と

完全に意識を自分に向けてみる 私の自我がどういうものなのか観察したら良い
自我は私ではない 闇に何度も葬られ自らが犯している過ちに気づいた時 一切の苦悩は消え失せる。辛いのはあなたという価値観に雁字搦めにされているから

あなたは買い物に執着しているかも知れない
あなたは食べることに執着しているのかも知れない
あなたは異性に執着しているのかも知れない

なぜ?


「どん底に落ちたら底を掘れ」